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春に3日の晴れナシで今日も朝からずっと雨。
1日中家にいた。 満州時代の写真を頼んでいた姉から2通の写真を送って来た。 1枚は上の写真で母親が満州の朝陽鎮の神社で撮った長女F子を抱いて軍服姿の父親とお宮参りに行ったときのものである(上の写真)。もう1枚は父親が自宅で1ヶ月のF子を抱いた写真だった。 奉天(現沈陽)時代の話は少し聞いたことがあったが朝陽鎮の話は記憶にない。 早速地図で調べたら奉天から北東の吉林省吉林に行く途中海龍~盤石間にある。吉林に近いところで奉天から約300kmのところだ。 調べてみると次女S子の出生の地として戸籍にあるのが満州国盤石県盤石街大正区だからまず間違いなかろう。 転勤の場合は「満鉄の貨車1台を借りて移動した」ということは母から聞いたことがある。 推測の域を出ないが、日本人が作ったこの小さな祠見たいな神社しか神社は近くになかったのだろう。 だがここで疑問が湧いた。 福岡の前原町で出生届がされているF子が生まれてまもなく何故満州にいるのだろう。 そこで早速F子に電話をして聞いてみるといきさつはこうであった。 母アサヨが満州より実家の福岡県小郡市西福童に帰ってきてF子を出産した。 その後父清が妻子を迎えのため満州より帰国しその当時清の親が住んでいた前原町の役場に出生届けを出した。そして親子3人で再び任地の満州国吉林省盤石県に帰って行ったのだった。 地図の色合いから見ると結構山の中だ。 沈陽からずっと北の山間の街、どのくらい其処にいたか知らないが寒かったろうなと思う。 そのうちホームページの父の手記の欄に追加掲載しよう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 29, 2010 03:00:37 AM
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