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夏希ヒョウの世界へようこそ

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2016年04月18日
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カテゴリ:格闘技
「俺はベトコン(北ベトナム)には恨みはない! 彼らに銃を向ける理由はない」
と、モハメッド・アリはベトナム戦争(1964~75年)を拒否した。
そして、アメリカ国家を敵に回した結果、1967年3月に王座防衛後、ヘビー級王座を剥奪、パスポートも没収される。そのアリの(徴兵拒否の)言動が社会問題化され、その後もベトナム戦争の正当性について世界的にも物議をかもすだけの影響力をアリは持っていた。プロボクシング世界ヘビー級の人気王者という彼の立場が、当時の世相へ訴えかけるに充分だったのだ。それほどヘビー級王者は別格。(しかし、今ではヘビー級より中量級のほうが報酬が高い場合が多い。プロの評価は報酬=より稼ぐ選手が優れているという意味)
しかし、アリの理解者で活動を共にしたマルコムX(1965年)やキング牧師(1968年)が暗殺されたことは、アリにとって、とてつもないプレッシャーだったに違いない。(マルコムもキングも黒人差別と戦った)


徴兵拒否によって、約3年7ヶ月のブランクを強いられたアリは復帰戦で、当時世界1位のジェリー・クォーリーに3回TKO勝ちして再起した。(1970年10月)
その2か月後に、復帰2戦目の勝利。

そして翌年、王者ジョー・フレイジャーに挑戦した。
世紀の一戦と言われたMSG(マジソン・スクエア・ガーデン)決戦で、フレイジャーは最終ラウンドにダウンを奪い判定勝ちした。(アリのダウンでショック死した人がいたという)

そのフレイジャーに挑戦したジョージ・フォアマンは、1Rに3回、2Rに3回(計6回)ダウンを奪いレフェリーストップで新王者に輝いた。
(今の3ノックダウン制なら、1RKOである)
まず右のショートアッパーで最初のダウンを取っているが、どこに当たっているか普通のビデオだとフォアマンの背中で見えない。
アゴを捉えたように見えるが、横からのアングルだと額をかすっている。
あのアリのパンチを15R耐え抜いたフレイジャーが、開始1分ぐらいで……。
アゴを直撃したわけではなく、額をかすっているためにフォアマンの右グローブはフレイジャーの頭上の空気を裂いている。
《象をも殺す》と例えられた、凄まじいパンチ。

初防衛戦を東京で1RKOした後、2度目の防衛戦の相手はケン・ノートン。
ノートンはアリのあごを叩き折った強打者(アリとは3度戦い1勝2敗で、負けはどちらも微妙な僅差)だったが、これもフレイジャー同様全くの子ども扱いで、フォアマンは2RKOした。
内容的にはボクシングになっておらず、まるでウサギを仕留める獅子のようだ。
(後に名王者・ホームズと壮絶な乱打戦を演じる)ノートンは何も出来ず、倒されるままという有様。
当時の雑誌のコメントでは、「アリとは何度でもやってやる。しかし、フォアマンとは二度とやりたくない」(ノートン)

そのフォアマンに挑戦したアリの勇気は、本当に凄い。第1Rのゴングを待つアリの目は、本当に怯えている。
(ボクシングという格闘競技は、主に頭部への殴り合いという原始的なものであるがゆえにそのダメージは計り知れない。ましてや相手が強打者であるほど……)
逆に、フォアマンがアリを舐めていたとしても当然である。アリに勝った強打者達を全く問題にしなかったのだから。
確かに、あれだけ強振を繰り返せばスタミナが衰えるのも早いが。
あの試合、(フォアマンの)スタミナが異常に無かったのも、練習量と関係あるのでは? と思う。
(あくまで噂だが、元々凄まじいハードパンチの持ち主であるフォアマンはあまり練習をしなかったらしい)

この一戦を忠実に再現したノーマン・メイラーの「ファイト」によると、アリの控え室では「彼は殺されるんじゃないか」という雰囲気だったという。
テレビの実況でもアナウンサーが「この試合は、アリの最後の試合になるかもしれません」と言っているし、プロモーターのドン・キング(この決戦がキングの出世試合で、それまで彼は無名だった)も、「まさかアリが勝つとは思わなかった」と言っている。
しかし、結果はご存知の通り。
(ちなみに74年に行われたこの試合の報酬は、両者5百万ドルずつ。
当時のレートは、1ドル=360円。つまり、40年以上前に18億円の報酬)


『ボクシングは強い奴が勝つのではない、勝ったほうが強いのだ』
これはまさに、アリVSフォアマンに対しての言葉であろう。
アリが選手として偉大なのは、このフォアマンに勝ったからである。
だがこの一戦だけで、アリがフォアマンより強いと結論づけるのは早計だ。
その後、フォアマンは何度も再戦を要求したが、アリ側は応じなかったらしい。

実はこの一戦は、フォアマンの怪我により一度延期されている。もし、延期されていなかったら……。
スパーリング中の怪我は、 憶測だがフォアマンは気が抜けていたのではないか?
それにボクシングは相性がある。
例えばマイク・タイソンに二度勝ったイベンダー・ホリフィールドが、歴史的評価でタイソンより上位にランクされることはないと思う。
(しかし、ホリフィールドはタイソンが引退した後も闘い続け、44歳でヘビー級のトップランカーに競り勝った。07年は世界タイトルに挑戦したものの惜しくも判定負けであった。これからの活躍次第では、アリに並ぶ偉大な選手として語り継がれるだろう)

確かにアリは全盛期ではなかったが、経験があった分フォアマンに対してあのような戦術(ロープ・ア・ドープ)がとれた結果、奇跡の逆転KOが生まれたと思う。

カムバックしたフォアマンは、フレイジャーとの再戦で5RKOして引退に追い込んでいる。
しかし、アリと同じタイプのジミー・ヤングに敗れて牧師になるが、アリ戦の後のフォアマンは、それ以前の彼とはオーラが消えていて明らかに違う。

“キンシャサの奇跡”は、それ以降のボクシング界にも多大なる影響を及ぼしている。
それはあれ以来、アリのモノマネのようなボクサーを濫出(らんしゅつ・みだりに世に出すこと)したし、その極め付けがラリー・ホームズでありシュガー・レイ・レナードだからである。
あの試合でフォアマンが勝っていれば、逆の現象が起きていたのではないか。
いろんな意味で歴史に残る一戦である。
米国で行われる試合は、ジャブがポイントを取る手段となっているが、それこそが「アリ・スタイル」=「華麗なるボクシング」としての評価という意味。


しかし、その後フォアマンは王者に返り咲いた。
何とアリに負けてから20年後、45歳での戴冠である。
あのタイソンでさえ38歳で野獣から人間になった(つまり引退した)ことを考えれば、フォアマンこそ本当の怪物だ。
2009年付。

(後編につづく)





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最終更新日  2019年08月11日 16時44分55秒
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