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カテゴリ:つれづれに
ここ何年か、そうだなぁ、病状酷く生活保護になって、なお通院拒否して、最低とも呼べる生活をしてから。
年月が過ぎていくのを数えるのが難しくなった。 逆に学生の頃とかの昔の方がハッキリしている年月の経過。 まぁ、学生時代は何年生とか指標が有ったからでもあるけど。 県営住宅を追い出されてから2回引っ越したりしたが、何年前の事だったかもう数えるのが難しい。 ここ楽天ブログを始めたのは何時だったか。 少し調べたらこれは解るが頭の中だけで何時だったかを考えるのが難しい。 流れとしてメーリングリスト、統合失調症のそれを作った後に先ず自分でHPを作ってみたのが その始まりで。 HTMLなど覚えるのがメンドクサイと言うのも有ったが、一番はデザイン能力の無さから、 ブログを探してここ楽天にたどり着いた。 もう全く手を入れてないので32条の問題とか古過ぎる話題とか福祉問題とかから、 HPは始まって居たように記憶している。 統合失調症と呼び名が変わったのはこのブログを始めるほんの少し前だったんじゃなかったろうか? 何かと関連してなら少しは「何時頃」とか言える。 まぁ前後関係まで無茶苦茶になっていたらちょっと凄すぎる。 と言いながら詳細な前後関係はもう曖昧だ。 何なのだろう。 時間の経過が何かどうでも良いと言うか、、、、 何処かで漫然としか生きていないここ「十年程」か。 他人との交友が苦手な特徴が有ると知った統合失調症。 それから10年以上掛けてなんとかしてきたつもりだったが。 少しづつ、、、病院関係に限られた範囲でも人を見つめ何とかしようと近づこうと。 しかし、病状が激しい時期に中学からの親友と喧嘩別れ。 長らく少ない交友関係と言うのは変わらなかった。 うーん、入院生活の中で、そして自らの病の中で、病者を見つめる事、 これは何か課題の様にしてきたのかも。 その延長で、メーリングリストを作り、そして最早ただの残骸だけどHPを作り、、、 うーん、入院中に寝られない夜、様々にネットでやり取りをしていたのを覚えている。 夢中だった。 「何かの為」って、一体何の為だったのか今ではよく解らないが、何かを目指していたつもりだった。 度々このブログで悩んでいるが、それは自分の為だけなのかも知れないし、 何か多くの精神病患者の為のつもりだったのかも知れない。 ネットでの付き合い、ネットコミュニケーションの難しさを知ってからは、 リアルの世界で何かをしようとしてたかも。 「皆を纏めてるつもりかも知れないけど不満がある人は居るよ」 このセリフは何故か忘れられない。 入院中にふとディルームである人と二人きりに成った時に言われたのだが。 自分では特に「俺が此処を纏めてる」とかそんな意識は無かったのだが。 この言葉で逆に何かその時の自分の位置を感じたと言うか。 この言葉はある意味、私がある程度その場を纏めてるリーダー的な人物に見えた、と言う事でもあり、又何か私の無意識な所で不満を感じさせていた人達が居る事も表している。 ちょっとショックだったのかも知れない。 この言葉と前後して「若い頃から遊びなれてるでしょ」とも言われた。 何か生まれながらに人付き合いが上手く学生時代から遊んでいた、、、、 まぁ確かに学生時代から夜遊びとかしてたけど。 鍵っ子同士の悪友、親友が一人居ただけの話だ。 どちらかと言うと無口で人付き合いはしない方だった。 この頃から何か自分の虚像が勝手に歩き回ってる感覚に違和感を感じていた。 何が契機だったのかハッキリしないが、何処かで自分は無理をしてるのじゃないか? とか考えていたかも。 ネットでの交流もそれなりに意味を持って、自分は結局何をしたいのか? 病について、精神病についてそれなりに考えた時期も有った。 それは多くの病者の為かと言うと、自らと関係の深い人達だけの為の様な感覚が強かった。 何よりも自分だけの為・・・・・ それを考え始めた頃、状況としても自分とそして深い関係の人、まぁ恋人なのだが、 との関係だけでしか動けない自分の限界とかも感じていた。 途中、恋人との関係は途切れたりして、友人との事が重きを占めたりするが。 自分のキャパとして結局私は交友関係を大きく減らした。 ネットは、、、、もうここ楽天で交友のある人は見当たらない。 残骸として残ってるブログは有るが、既にお気に入りに入れていた楽天仲間は、 楽天から引退している。 改めてここ楽天でネットコミュニケーションを始めようと言う気は余りない。 「私の」ネットでの限界、リアルでの限界。 それを何か今はとても感じているかもしれない。 昨日、私は49歳に成った。 49歳。 社会的にこの年齢から会社員として何かを為そうと言うのは、既にキャリアがないと難しい。 それは、自分が会社を興すとかにしてもとても難しい。 これから、、、私に何が出来るのか? 惨憺たる生活を送ったあの通院拒否の時代から私は何とか1年以上勤続できるまで回復した。 しかし、そこに至るまで私は私なりに努力も出来ていたように感じる。 入院中でも腹筋を続けたり、仕事には役に立たないが、ここ楽天で展開したように、 エビリファイについて様々に考えたり、病について頭を働かせていたのは、 それなりに仕事での何かに成っていたかも。 あのころは大した事と感じなかったが、仕事でLANの設置で多くの仲間が時間内に出来なかった仕事をさっさと終わらせれた事とか、今と成ってはまぁ、それなりに自分を褒められる事だと思う。 あの頃は、周りの人達のスキルの無さに呆れただけだけど。 目指していた物が違った様な気がする。 と言いながら大してITの勉強はしていなかったのだが。 もう、今と成ってはすがる何かとして「自分だけが出来た」と言う、、、 うーn、今でもそこそこのレベルはクリアできるのかも知れないけど。 もう、あの頃の様な大きな夢は描けない。 何よりも努力していない。 ここん所、運動不足で、食べ放題で、お腹が前に成長してたりするし。 何なのだろうなぁ、、、、 きっちり数えられない自らのしてきた事。。。。。 それらから自分の限界を感じてるのかなぁ。 何にせよ、何かの転機だと、、、今は。 ただ漫然とだけ生きてるのじゃなく、それなりに精一杯してきた事もあるとは感じるけど。 どうにも、、、、 「もう歳なんですよ」とよく言う主治医の言葉は、 「それなりの生き方」をこれから考えていかなきゃダメという意味に取って、 「老後」と言うか、「隠居」と言うか、、、、 49歳からの人生をこれから作っていかなきゃ、、、かな。 若い人たちへ、、、 無我夢中で頑張る事も大事だし、未来をしっかり見つめる事もとても大事な事。 しっかり生きようとして下さい。 エールを送ります! 病者へ、、 病を持ってからでも生き方は様々に有ります! 出来るだけ希望を捨てないで生きてください! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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