初詣、伊勢神宮に参拝して気分も新たに!
今年の初詣はどこも大変な人出、そんな中で行ってみたい神社の人気No1は、接戦で出雲大社を振り切り「伊勢神宮」です。正式名称は単に「神宮」、お伊勢さんと気安く民衆に親しまれ、内宮・外宮の両宮を中心に14ヶ所の別宮、109ヶ所の摂社・末社・所管社計125社を境内・外に配し、八幡様に次いで信仰別全国2位の神社数4,425社にも及ぶ、伊勢信仰元締め神社になります。そんなことで今年初めは、不況を乗り切り、争い事が無い安らぎの世界を願って、三重県伊勢市の「伊勢神宮」ご案内です。広大な内宮神域は5,500haの広さ、千古の森に杉やシイ、クスノキなど約120種、樹齢600年を越すものもあります。神社は俗界と聖域の境になる鳥居と瑞垣、神を礼拝する拝殿、神の依代となるご神体安置の本殿で構成されるのが一般的です。 伊勢神宮内宮(皇大神宮)には、太陽を神格化し神々の頂点に君臨する、皇室の祖先神「天照大御神」が祀られています。五十鈴川に掛かる宇治橋を渡り右手、玉砂利の神苑をゆっくりと歩き、第一、第二鳥居をくぐり進むと20分で正宮前の石段です。 写真は神苑→火除橋から第一鳥居→第二鳥居、生憎の雨降り模様、架け替え中の宇治橋写真を失念は無念(ビデオはOK)。 伊勢神宮の起源は日本書紀によると、祭神の天照大御神は初代神武天皇以来、歴代の天皇と同床共殿で皇居に祀られていましたが、第十代崇神天皇の時代に疫病の流行と国情の不安があって神威を恐れ、依代の「八咫鏡(やたかがみ)」を大和国の笠縫邑(かさぬいのむら)に移します。その後、皇后が初代斎王になり安住鎮座する地を求め各地を巡幸、皇后の意志を受け継いだ第十一代垂仁天皇の第4皇女「倭姫命(やまとひめのみこと)」が旅を継続し、宣託があった現在の伊勢国の五十鈴川上流畔に斎宮(五十鈴宮)を設け鎮座させたと伝わります。3世紀末頃の話で、それにしても丹後、吉備、伊賀、近江、美濃、尾張・・・と大変な長旅になります。それから以外と面白い話で、邪馬台国畿内説の論者の中に、千七百年も前の倭姫命が「卑弥呼」だと提唱する人がいることです。神様と一体化した鎮守の森。正宮前は荘厳で、石段を見上げると鳥居の奥に拝殿が見えて来ます。 鳥居をくぐって正宮内側は撮影禁止、拝殿から奥は見えず二礼二拝一礼してお参りを済ませます。現正宮の左側空き地(西側)は新御敷地、平成25年に予定されている式年遷宮で新社殿建築の予定地になります。 内宮祭神の縁起になるご神体は、三種の神器の一つ「八咫鏡(やたかがみ)」。天照大御神が天岩戸にお隠れのとき、誘い出す手段として岩戸前に勾玉と一緒に飾った品になります。(ご神体は神霊が招き寄せられ乗り移るもので、それ自体は神でありません)三種の神器は皇室継承に不可欠な品々、ちなみに勾玉は現皇居の賢所に奉斎され、剣は熱田神宮のご神体になっています。お伊勢参りは江戸時代に大流行した神宮への集団参詣、何故か約60年周期で5回も数百万人規模で、自然発生的に起きています。庶民移動に制限があった時代、でもお伊勢参りだけは許されていたようで、特徴は奉公人が主人に、子供が親に、無断で参詣したことから別名若手衆による「抜け参り」ともいわれる、一生に一度の凄まじい移動になりました。 神宮正宮の建築様式は唯一神明造り、檜の素木を用い掘立柱で高床、切妻、茅葺、千木、そして平入り構造は簡素です。神宮内宮はかって「茅葺の納屋」と揶揄されていましたが、今では20世紀の「日本のパルテノン」と評価を得ています。 天照大御神がこの地に鎮座して悠久千七百年の歴史、最近マスコミで平成25年の神宮「第62回 式年遷宮」が話題に上ります。紐解くと、神宮は掘立て木造りだから長い年月持ち堪えるはずもなく、だから創設当初の建物は残っていません。それが7世紀末の第40代天武天皇の時に20年毎に建て替えを決め、次の持統天皇(天武天皇の妻で女帝)の時に第一回目が行われています。これが式年遷宮の始まりになりますが、凄いことは建物だけでなく殿舎の装飾・調度、祭事の服飾、超国宝級の神宝・装束なども原型に則し忠実に新調されることです。常に清浄であることを求め、建築技術や伝統工芸を、次の世代に伝承する目的もあったようです。参考までに'10年文芸春秋新年特別号に、「伊勢神宮に秘められた女帝(持統天皇)の野望」が掲載されていますので一読下さい。神宮で最大のお祭は10月の「神嘗祭(かんなめさい)」、私達が生きる糧になるその年に収穫された新穀を、天皇が真っ先に天照大御神に奉じ感謝する祭りになります。天皇統治の基本は民衆を飢えさせないことですから当然のお祭りで、それが総てに亘って清らかに装いを調え、天照大御神が新殿へお遷り仰ぐ20年に一回の式年遷宮の時は、「大神嘗祭」といわれる大祭になります。 門前町は五十鈴川沿いにおはらい町通り(旧参宮街道)と、隣接しておかげ横丁ががあります。 門前町の感激は、何処にでもある店がありふれた品の販売かと思いきや、歴史ある地場ではの店が軒を連ねていることです。老舗酒屋で一杯の利き酒(300円)をいただき、伊賀くみひも屋で紐細工土産を買い、豆腐屋に寄り試食などと・・・楽しい通りです。日本の神は両面性があり、敬えれば吉兆事を与え、怒らせると祟って悪事をもたらすといわれます。祟りを防ぐには慰撫が必要だそうで、だから定期的に神霊を異界からご神体に招き、饗応し、慶び鎮った神をお戻りいただく祭事、お祭りが必要になります。このとき神様を乗せ練り歩く乗物が神輿や山車、神社の諸々の祭事にはこんな謂われがあり、これでは人間界の下心あるご接待と同じです。 営業再会した赤福、その本店がおはらい通り中央部分に位置していて、雨降り模様なのにひっきりなしの万来状態です。喧噪を避け本店隣の五十鈴茶屋(赤福経営)へ、五十鈴川や庭園を見渡せる二階で、寛ぎながら問題の赤福を賞味しました。次回は原稿を8ヶ月も前に書いて保存していた、能登半島先端部の輪島風物を予定しています。