カテゴリ:河合奈保子さん
オードリー・ヘップバーンの有名な映画「ローマの休日」は、テレビで何度も放送されており、見るたびに気品のある姿と、大きく魅力的な目に引き付けられました。
学生の頃は、世界的女優でとても美しい人という印象がありましたが、それ以外の事は何も知りませんでした。 私は1991年にオランダに赴任したのですが、雨の休日は図書館や本屋に行って、読めそうな本を探しました。そこでオードリー・ヘップバーンの事が書いてある本を見つけ、第二次世界大戦中に彼女がオランダで生き延びるため、大変な苦労をした事実を知りました。 そして、1993年1月に彼女が癌で亡くなったニュースが、オランダのテレビで紹介されました。女優で活躍した頃の映像や、ユニセフの仕事として色々な国、特にソマリアなどアフリカで援助活動をした姿を見ました。 帰国してからも、雑誌で彼女の記事があれば、読むようにしていました。 「オードリー・ヘップバーン 妖精の秘密/ベルトラン・メイエ=スタブレ著/藤野邦夫訳/風媒社/2003年2月2日発売」という本を持っていますが、彼女の一生が詳しく書かれており、とても勉強になります。 p25「占領下のオランダで」、p30「きわどい出来事」、p36「解放」などの章を読むと、戦時中の様子を知ることができます。オードリーは当時、ドイツとの国境に近い、オランダのアルンヘムの街でナチに捕まらないように生活していました、 戦時中、オランダ・アムステルダムの秘密部屋での生活を記した、アンネ・フランクの「アンネの日記」は有名ですが、p29にはオードリーがアンネについて語った部分があります。 「わたしは彼女(アンネ・フランク)と、ちょうど同い年でした。開戦の時はどちらも10歳で、終戦のときは15歳でしたから。彼女の日記を読んだのは、1946年のことでした。そしてひどく動揺し、ひどく心をゆすぶられました。まるで自分の生活を読んでいるみたいでしたね。この本を読んだほかに、そんな気持ちになったことは二度とありませんでした」。 「わたしは逮捕の現場も見ましたよ。一時的に道路が封鎖されるところを見たんです。ナチは数人の青年たちを壁に向かって立たせました。そして射殺が終わると、道路の封鎖をときました。アンネ・フランクの日記を読んだとき、『今日は五人の人質が銃殺された』という文章にしるしをつけました。私の叔父が殺されたのも、同じ日でした。アンネのことばを読みながら、わたしは自分のあらゆる感情と恐怖を再体験しました」。 p30では、アルンヘムの道路で、15歳のオードリー・ヘップバーンがドイツ軍の軍曹に捕まり、他の女性たちと一緒に連行された事が書いてあります。彼女は監視役の一瞬の隙を見て、一目散に駆け出し、あばら家の地下室に隠れたそうです。長い期間そこにいましたが、あばら家が砲撃されるかもしれず、夜に抜けて、やっとの思いで家に帰りました。彼女が一人で隠れていた期間は、驚くべきことに、3週間と4日だったそうです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー オードリー・ヘップバーンの有名な「ローマの休日」の名場面、それから「ティファニーで朝食を」の映画の中でオードリーが「ムーン・リバー」を歌う姿、そしてオードリー・ヘップバーン好きの河合奈保子さんが「ムーン・リバー」を英語で歌う姿を紹介します。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー 【ローマの休日】のオードリー・ヘップバーン。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「ムーン・リバー」を歌うオードリー・ヘップバーン。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 「ムーン・リバー」を英語で歌う河合奈保子さん。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 手元にあるオードリー・ヘップバーンの本 ↑ オードリー・ヘップバーン 妖精の秘密/著者:ベルトラン・メイエ=スタブレ/訳者:藤野邦夫/風媒社/2003年2月2日発行 ↑ スクリーン・デラックス オードリーを愛した名監督たち SCREEN 特別編集/近代映画社/平成19年9月10日発行。 ↑ SCREEN 特別編集 オードリー・ヘップバーン・コレクション(The AUDREY HEPBURN Collections)/近代映画社/平成19年2月15日発行。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.05.04 05:33:55
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