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カテゴリ:三重 観光
やっと来られました海蔵寺(かいぞうじ)に眠る、平田靭負(ひらたゆきえ)と薩摩藩士の墓参りがしたかった。
平田靭負像江戸時代の中頃、徳川幕府は、木曽三川の水害で悩む濃尾平野西南部の住民を救うため、薩摩藩にお手伝い普請を命じました。薩摩藩士らは遠く離れた異郷の地で、厳しい幕府側の役人の監督と経験したことのない水の流れに苦しみながら、この地方の住民のため、多大の犠牲を払い、万難を排して工事を見事完成させました。平田靭負像 海蔵寺本堂 宝暦5年木曽・長良・揖斐川の治水工事は完成されたましたが、多くの犠牲者と巨額の経費がかさんだことの責任感から、工事総奉行平田靭負は自刃しました。殉難した薩摩義士の墓もここに眠ります。 中央は総奉行平田靭負正輔(52才)の墓碑、割腹した24名の薩摩義士。 義士らの墓所は岐阜・三重県下14ヶ寺に埋葬されました。 東海三県の発展はひとえに薩摩義士のおかげです。
本堂仏壇に感謝状や、「薩摩義士」のお酒が何瓶も並んでいました。 鹿児島の人はお酒に強いでしょうから、地元のお酒を呑みたかったでしょうね。 平田靭負の墓:海蔵寺住所:三重県桑名市北寺町10番地 私が見た平田靭負と薩摩義士の業績 さぼう遊学館・羽根谷だんだん公園 薩摩義士とデ・レイケ銅像(岐阜) 平田靭負銅像が2つ 史蹟大巻薩摩工事役館址(岐阜) 国営木曽三川公園の隣「治水神社」治水神社:岐阜県海津市海津町油島 平田公園と平田靭負翁銅像 海津市歴史民族資料館・松平容保出自の高須城平田靭負とデレーケの胸像 神になった薩摩義士 薩摩義士の碑:鹿児島県鹿児島市城山町 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019/06/14 09:07:21 AM
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