クラムボン
イーハトーブ語辞典【クラムボン】1.宮沢賢治の童話『やまなし』に登場する謎の生物。2.盛岡市紺屋町にある自家焙煎珈琲屋。好きなものイチゴ珈琲花美人懐手して宇宙見物寺田寅彦の有名な短歌です。素敵なものを素直に愛するココロがおおらかに表現されていて、大好きな歌です。着物に下駄履き、懐に手を入れて空を眺めつつ、悠々と歩く寺田寅彦の姿が浮かんできます。私も花も美人も好きですがとりわけ「珈琲」は大好きです。近所の珈琲豆屋から焙煎したての美味しい豆を購入して日々家でも飲むのですが(そしてコレがまた美味しく淹れられるのですが)、カフェで飲む珈琲はまた違った魅力があります。寺田センセイも、その随筆に以下のような文章を残しています。「・・・しかし自分が珈琲を飲むのは、どうも珈琲を飲むために珈琲を飲むのではないように思われる。宅の台所で骨を折ってせいぜいうまく出した珈琲を、引き散らかした居間の書卓の上で味わうのではどうも何か物足りなくて、珈琲を飲んだ気になりかねる・・・(後略)」かくして、寺田センセイはカフェに赴く訳です。彼が珈琲を味わうための伴奏に必要だとしたのは銀器やクリスタルが煌めくカフェの雰囲気。私が求めるカフェの雰囲気とは異なるものの、珈琲そのものよりもむしろそれを飲む雰囲気を必要とする、という意味ではまったく同意見です。自分は「珈琲好き」である以上に「カフェ好き」なんだなと思います。そんな私にとって、永遠のナンバーワン珈琲屋が「クラムボン」です。その店の佇まいも。店がある街の雰囲気も。丁寧に豆を選別しているマスターの背中も。そこに集まる人の雰囲気も。もちろん美味しい珈琲も。でもなにより「クラムボン」が特別なのは、私の青春時代とともにあったからでしょう。私のココロのなかにカフェ像があるように、きっと、十人いれば十人のカフェ像があるでしょう。それは、生まれ育った場所や時代、カフェと呼ばれるところと関わった時間のありかたによっても違うでしょう。でも、そういった何か特別な、いや特別なんだけどすごく身近な、身の置き処としてのカフェへの想いを抱くことは、これからの若い世代にはないかもしれないな・・・と思います。私は独りでカフェにいくことが好きですが、いわゆる街の大きな今様のカフェにいる「独り感」と、私の好きなタイプのカフェに居る「ひとり感」はまったく違います。前者は、都市の無関心のなかでそのワンピースとしての「独り」。後者は、そこにしかない、ある種濃密な空気のなかに溶け込んで存在する「ひとり」。上手く説明できませんが、そんな「ひとり」時間にたゆたいながら珈琲を飲む・・・。それが私のカフェです。自分が好きなカフェってどんなだろう?まず基本は「自家焙煎」で珈琲に深い愛情をもって淹れてくれるところ。そして、その場所を訪れてきたいろいろな人たちが、お店のあちこちに残していった「気配」といったようなもの・・そんなものが積み重なって醸し出される「空気感」があるところ。自家焙煎じゃなくって外注でも、焼きたての新鮮な豆が常に供給されてるなら問題ないんだけど、実は、お店の方が焙煎している姿を見るのが大好きなのです。そして、焙煎するときのあの香り・・が!なので、お店はちいさいほうがよくて、お客の見えるところで焙煎してくれているお店がいいのです。・・・ああ、なんだか珈琲が焼ける匂いで胸がいっぱいになってきました。◎自家焙煎コーヒー屋「クラムボン」 盛岡市紺屋町5-33