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中国では、はやくおいで、お母さんとご飯を食べよう!という気持ちで、幼い子供を呼び寄せる時などの掛け声だそうです。日本でも一緒ですね。
驚くことに、日本人が「今日はいい天気ですね」という感覚で、「食」と中国人の生活は切り離すことができないせいか、「ご飯食べましたか」と挨拶するそうです。 きっと、「ご飯食べましたか」が挨拶になる国ですから、食事はとても大切なんですね。 こんな逸話があるそうです。 「ごはんだよ~」と死の淵から蘇った話です。 昔、秦の始皇帝は万里の長城を築く為に多くの人々を徴発し夜も昼も働いていましたが、ろくに食べも寝もせず働かされては疲れ果ててしまうので、多くの人々が死んだと伝えられています。 韓天亮が徴発された時は14-5歳母は病気で寝ていました。 天亮は母が自分を心配して死にはしないか、またその死に目に遇えぬのではないかと何時も嘆き悲しみながら働かされていました。 ある日、天亮は大きな煉瓦を担いで城壁を登っていて、城壁から落ちてしまいました。人々は天亮を助けようと走り出したが工事監督はそれを許さず、天亮の体を死人置き場に曳きずって穴に放り込んでしまいました。 それからどれだけ時間がたったのでしょうか・・・天亮は「亮や、ご飯だよ~早くおいで~」と叫ぶ母の声を聞いた気がしました。 ハッとして身を起こし、母の前へ駆けつけると、あたりは真っ暗、空は星一つなく、山も河も森も見えない。まるで黒い筒の中に落ちたようでした。 天亮は泣きながら「おっかさん、何処にいるの!」と大声で叫んだが母の返事はない、天亮が気を落としていると、再び「亮や、ご飯だよ~早くおいで~」と母の声が聞こえ、天亮はすぐ「おっかさん、何処にいるの!」と叫んだが、母の声はまたそれっきりでした。 工事現場の監督は天亮が死んだものだと思っていましたが、まだ生きていたのでした。天亮が目をあけると夜空には星と月が光っていました。 このまま家へ帰って母に会おうと思ったが足が痛くて歩けない、それでも天亮は昼夜を分けず足を引き摺って我が家へ向かいました。 不思議なことに、天亮が疲れて動けなくなると、またあの「亮や、ご飯だよ~早くおいで~」と言う母の声が聞こえ、天亮はまた元気を取り戻すのでした。 どれだけ経ったのか分からないが、天亮はとうとう我が家へ着いたら、髪が真っ白に老いた母が微かに震えながら「亮や、ご飯だよ~早くおいで~」と叫んでいました。 工事に徴発された息子を心配し、早く帰ってきて欲しい一心から、母親は「亮や、ご飯だよ~早くおいで~」と毎日息子を呼びつづけていたのでした。 死の淵にあった息子をこの世に呼び戻すことができたのも母親のこの言葉が届いたからでした。 子供を思う気持ちは世界共通かもしれませんが、食に対する呼びかけが命を救うというのは、現代の日本にはあるのでしょうか? 毎回の食はあたりまえではありません。 健康だからこそ、豊かだからこそいただけるということを、肝に銘じて感謝して食しようと改めて思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006.06.22 13:05:52
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