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カテゴリ:社労士とニート・引きこもり
平成22年10月末、社会保険労務士会退会届を、地元社会保険労務士会に郵送しました。
つまり、約5年間の開業「社会保険労務士」会員登録を抹消して、「社会保険」に加入している「労務者」として、今後の人生を歩むことを選択したワケです。 九州で2番目にレベルの高い大学法学部を卒業して、長年地方公務員の上級職行政事務職だった人間にとって、 何とかホワイトカラーのデスクワークとして一生働けるようにと願って、 社会保険労務士資格を取得して、その方面の仕事を開拓しようと最大限努力しましたが、 平成17年社会保険労務士開業会員登録して、色々と顧問開拓に努力したものの、顧問先ゼロなど、とても困難でした。 最近になって、やっと気付いたのですが、残り約70%の未開拓の事業所は、 良く考えると、県内400名近い会員が、その道何十年のベテラン社労士でさえ、 最大限営業努力して顧問開拓に失敗した業界だから、本物の実務未経験で事務指定講習修了 しただけの自分が開拓できないのは、当たり前です。 だから、ハローワークなどの求人広告、行政協力など長期の仕事は、 総合労働相談員みたいに労働基準監督署の非常勤でさえ1名募集に20名応募など難関なので、 約50件もの正社員・非正規など応募して、全て落選しました。 つまり、難関の国家資格社会保険労務士はもちろん、過去の大学法学部・地方公務員上級職事務職の学歴・経歴の一見豪華3点セットにみえるようですが、顧問開拓や就職・転職など、ホワイトカラー系と呼ばれる事務系の仕事をするためには、ほとんど役に立ちませんでした。 そこで、平成22年6月、思い切って過去の学歴や資格などのプライドは全部捨てて、深夜勤務の肉体労働系の仕事に、転職することに決心しました。 丁度その時、マスコミ報道によって、宅配便・宅急便の区分け作業など運輸業の業界が、 とても人手不足であることを知って、これはチャンスと確信して応募したら、 ようやく安定した仕事に転職できました。 まさか40歳代後半になって、一昔前ならブルーカラーと言われた肉体労働の世界に、 転身せざるを得なくなるとは、つい最近まで、夢にも思いませんでしたが、 社会保険労務士として、定職に就けずに、想像上の労働の世界しか知らないで、 将来バラ色のホワイトカラーの理想像を、ドンキホーテみたいに夢見続けるよりは、 つまり、「社会保険」加入の「労務者」として、現実に長い間働き続けることを選択したのです。 その結果が、「ニート・ひきこもり・フリーター」の世界から脱出して、 社会復帰して社会参加できるようになったのです。 確かに、深夜勤務であり、途中1時間の休憩はあるものの、8時間立ち続けて小包など荷物を区分して 大量の荷物を運ぶ仕事は、肉体的にはとても重労働で、大量の汗をかきます。 でも、職場の先輩は、とても親切で、たとえ区分でミスが見つかっても、 「そんなにあせらず、わからないことがあったら、どんどん質問してください。長い間 作業すれば、自然に覚えるから。」と、こんな感じの働きやすい労働環境です。 また、人生で初めて、自分の体を動かして働いたので、本当に働いたという実感が出来て、 世の中の人々のために役立つことが出来て、働けることは本当に素晴らしいことと、 とても嬉しく感じました。 なお、退会後も、社会保険労務士資格者ではあるので、社会保険労務士会員を はじめ、資格者が寄り集まって活動する自主研究会は、参加しています。 余談ですが、その年の12月29日から1月3日までの年末年始6日間は、元旦の晩方以外全部出勤しました。 宅配便の業界は、年末年始が最も繁忙な時期で、人生において初めて、仕事場にて年越しする貴重な体験をしました。 大晦日の出勤前、成人してから以降、初めてお酒飲まずに年越し蕎麦を食べました。 (今から仕事だから。) 元旦の、お雑煮やおせち料理は、仕事を終えた直後なので、今までで最も美味しく感じました。 ※後日談 参考までに、昨年6月「社会保険労務士事務指定講習修了証」と、ついでに翌日の地元社会保険労務士会の倫理研修案内の文書まで破ったら、まるで呪いから解放されたかのように、それまでどんなに就職活動しても全然就職できなかったのがウソのように、あっさりと簡単に就職出来ました。 さらにその一年後、ホワイトカラー人生への別れという意味で、過去のプライドを断ち切るつもりで、 二度と国家資格の全国社会保険労務士会連合会及び地元社会保険労務士会に会員登録しないつもりとして、 社会保険労務士の「合格証書」も、破りました!
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Last updated
2013.06.19 17:32:30
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