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平穏無事 あたり前の 有り難さ @@@@@@@ 「どうしてこんな事故が?・・・」 と思うようなニュースが毎日眼に飛び込んできます。 昨年の大震災以降「想定外」のことばかりです。 しかし、事故や災難は〈私の身〉にいつ降りかかるかわかりません。 今何も起こっていない平穏無事の状態が一生続くとは限らないのです。 それを仏教では「無常」といいます。 物事は変わらずそのままということはなく、移り変わっていくものであるということです。 私たちも生まれてすぐは大きく育っていくことを〈成長〉といい喜びますが、 二十歳を過ぎたら同じ歳を重ねることでも〈老化〉と言い嘆き出します。 私も幸せも社会も富もみんな移り変わっていくのです。 しかし、そのことをなかなか意識できずに、 「いつまでも続く」 と思ってしまいます。 お腹がすくのも、病気が治るのもすべてこの《無常》の現れです。 最近の自動車事故は車社会への大きな警報です。 自分ももしかしたら事故を起こしてしまう加害者になるかもしれない ということを自覚しなければなりません。 たとえ自分は安全に運転したり、歩行したりしていても、 向こうから襲ってくることもありえます。 ではどうしたらよいのでしょうか… 不安がるのではなく、 今無事で過ごせている現状を《感謝すること》です。 当たり前だと思っていたことを見直してみると、 当たり前ではなく本当に有り難いことだと感謝できるはずです。 その小さな感謝の積み重ねが〈私〉や社会をも善くするモノと思います。 最後に紹介するのは、 癌で昭和五十四年に三十一歳で亡くなられた 医師・井村和清さんのメッセージです。 「あたりまえ」 あたりまえ こんなすばらしいことを、 みんなはなぜよろこばないのでしょう あたりまえであることを お父さんがいる お母さんがいる こんなしあわせがあるでしょうか しかし、だれもそれをよろこばない あたりまえだ、と笑ってすます 食事がたべられる 夜になるとちゃんと眠れ、 そして又朝がくる 空気を胸いっぱいにすえる 笑える、泣ける、叫ぶこともできる 走りまわれる みんなあたりまえのこと こんなすばらしいことを、 みんな決してよろこばない そのあたりまえを知っているのは、 それを失くした人たちだけ なぜでしょう あたりまえ 南無阿弥陀仏 合掌 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.05.22 21:47:40
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