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何気ない 暮らしが 何よりの 宝物 @@@@@@@ 「特別な何かを求めていませんか?」 一角の人物になりたい、 特別な存在になりたい、 特別なことがしたいなど… 若いときは、競争したり、悔しがったりもあったと思います。 しかし、 求めれば求めるほど自分の実力のなさがわかり、 現実を思い知らされるのがこの世の習いです。 だからこそ、仏教では先人たちが 「今を大事に」 「今を味わえ」 とおっしゃっていたことが少しずつわかってきました。 「当たり前だと思っていることは実は当たり前ではないんだぞ」と。 健康でいること、 両親がいること、 子供が側にいること、 仕事があること等々、 〈当たり前〉だと思って過ごしていることはたくさんあります。 自分でできていたことや、まわりの人からしてもらっていたことなども 当たり前になっているのが現状です。 しかし、ある日突然、 この〈当たり前〉が当たり前でなくなる時がくるのです。 つまり、 失って初めてその有り難さに気づくこと、 気づかされることがたくさんあるのです。 例えば、お葬式はまさに大事な人との別れです。 「逝く」という漢字には「離ればなれになる」という意味が含まれています。 儀式はその悲しみの現実(愛別離苦)を受け入れていくためのものであり、 四十九日という中陰の期間や節目の法事があるのです。 そのような日常生活の中で、 誰しも思い起こせば 「あの頃が一番よかったぁ」 となる時期はあると思います。 だからといって憂いてばかりもいられません。 その「あの頃」や「一番」になる暮らしが 〈今この時〉 かもしれないのです。 だからこそ 「今を大事に」 していかなくてはならないのです。 「咲いた花見て喜ぶならば咲かせた根本の恩を知れ」 といわれます。 失って後悔するよりも、 今できること、してもらっていることに感謝して、 今を〈宝物〉にしていきましょう。 現実否定の非(アラ)ずの心になると「悲」、 非ずの言葉で「誹(ソシ)る」となると漢字も表しています。 先ずは今の現状を喜んでいく、 そしてそのおかげ〈恩〉を感じること。 その〈当たり前〉の有り難さに気づけていくと、 恩返しの人生が始まります。 なぜなら、自分の人生はまわりの人にもまれながらも育てられた人生である と同時に、 自分も誰かの人生に関わり影響を与えて 縁や恩を紡いでいくのが 〈私の人生〉なのですから。 日常の何気ない暮らしが〈宝物〉ですね。 合掌 南無阿弥陀佛 専称寺 亀山政臣拝 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.02.25 22:44:39
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