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日常を
丁寧に
過ごす
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一年が年々早く終わってしまうように思います。
三六五日は変わらねど、年々感動が少なくなってるからだと聞いたことがあります。
小さい頃は初めて体験することが多く、感動が多かったはずです。
歳を重ねると、日々の移り変わりや為すことも大きな変化は減ってきます。
そのような日常生活の中でいかに丁寧に過ごすかで感動や気づきが得られます。
丁寧とは、心を込めるということ。
つい「知ってる」「やったことある」
「どうなるかわかってる」など
以前の記憶が前に出てこなしてしまうことが多くなってしまいます。
五十歳を過ぎると記憶が薄れたりしてくるという声を聞きます。
しかし、これもある種こなして心を込めていないからこそ、
記憶に止まらないのかもしれません。
「忙」しいの漢字は「心」が「亡」くなると書きます。
たとえ忙しくとも心がおろそかにならないように意識していかなければと思います。
この心を込めるのは「いま・ここ」です。
しかし、
できているでしょうか?
私たちは、将来の為に今という時間を使ってしまいがちです。
「進学するために勉強する」
「お金を稼ぐために働く」
「健康維持のために運動する」等々、
なんら違和感はないかもしれません。
目的の為に今努力する、
目標達成の為に我慢してでもここで頑張るというように過ごしています。
しかし、本来人生を味わう為には、「いま・ここ」に心を込めて体感するべきです。今目の前にいる人を大事に思い、今取り組んでいる事を一所懸命する。
例えば、
朝晩の挨拶に思いを込める。
料理の見た目や香り食感などを味わう。
嫌な事も少しでも今が楽しめるように心を込めるなど、
意識すればできることは沢山あります。
その中に、喜びや気づきが生まれてきます。
時間が経つにまかせて過ごしているとまたたく間に月日が経ちます。
このありふれた日常をどう過ごすかは人生の深みにつながります。
なぜなら、その日常の積み重ねが人生だからです。
ではどう過ごすか? 私たちの命は終わりがあり儚いものです。
また、目の前の現象は当たり前に存在してずっと続くと思ってしまっています。
しかし、
全ては永遠ではないからこそ
「今日初めて会ったかのように」振る舞い、
「今日会うのが最後かもしれない」と思い接すると、
心が込められ、
丁寧に過ごせるのではないでしょうか。
合掌
専称寺
亀山政臣拝