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クリスマスが明けて、イエスの誕生をお祝いしたのだが、
本当にイエスが生まれたのは、10月ごろのユダヤのお祭りの仮庵の祭りの日である。 そのことを厳格に守っている日本の教会があるが、 意味深いことは、その日を毎日心に覚えて感謝するのがキリスト者のこころであろう。 それなくして、ある一日の日をことさらに云々するのは筋違い、そのことにまた論議して 心の視点をぼやかすのも筋違い。 日が人のためにあるのであって、人が日のためにあるのではない。 私はある機関誌を毎月発行している。 12月号が10日を過ぎて発行したせいで、1月号を元旦か二日に届くようにするために、 もうすでに原稿を仕上げなければならない。 皮肉にも日に追われて過ごすわが身かな、である。 その作業を今朝から始めようとしたが、ヤーコンの無人販売をする準備に午前中かかってしまった。 雨なので無人販売を出すことは延期になったが、午後は機関誌の原稿をほとんどパソコンに打ち終わった。 本論の原稿がまだ届かないので、午後の仕事は一端おあずけになった。 家内が左腕の痛みを訴えている。 手術後の 避けて通れぬ 痛さかな お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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