カテゴリ:趣味 今んとこ読書か
![]() 女の人には秘密が多い。男が何の秘密も意識せずに過ごしている同じ生活の 中に女の人はいろいろの微妙な秘密を見つけだして生活しているものである。 特に宇野千代さんの小説は、私小説はもとより、男の子の話だの、女流選手 の話だの、老音楽婦人の話だの、語られていることのひとつひとつが、正確に 掘り出されてきた宝石のような美しさで僕は愛読しているのだが、さればとて、 しからば俺もこういうものを書いてやろうか、という性質のものではない。 僕のあたまを逆さにふっても、こういうものは出てこない。なるほど宇野流に 語られてみれば、こういう心も僕のうちにあることが否定できぬが、僕の生活が そういうものを軌道にしてはいないのである。だが、僕は今、文学論を述べるこ とが主眼ではない。 このような微妙な心、秘密な匂いをひとつひとつ意識しながら生活している 女の人にとっては、一時間一時間が抱きしめたいようにたいせつであろうと 僕は思う。自分の身体のどんな小さなもの、一本の髪の毛でも眉毛でも、 僕らにわからぬ「いのち」が女の人には感じられるのではあるまいか。 まして容貌の衰えについての悲哀というようなものは、同じものが男の生活 にあるにしても、男女のあり方にははなはだ大きな隔たりがあると思われる。 宇野さんの小説の何か手紙だったかの中に 「女がひとりで眠るということの侘しさが、お分かりでしょうか」 という意味の一行があったはずだが、たいせつな一時間一時間を抱きしめて いる女の人が、ひとりということにどのような痛烈な呪いをいだいているか、 とにかく僕にも見当はつく。 ~中略~ だから、女の人にとっては、失われた時間というものも、生理に根ざした深さ を持っているかに思われ、その絢爛たる開花の時と凋落との怖るべき隔たり について、すでにそれを中心にした特異な思考を本能的に所有していると 考えられる。事実、同じ老年でも、女の人の老年は男に比べてより多く救わ れがたいものに見える。思考というものが肉体に即している女の人は、その だいじの肉体が凋落しては万事休すに違いない。 女の青春は美しい。その開花は目覚しい。女の一生がすべて秘密となって その中に閉じ込められている。だから、この点だけから言うと、女の人は 人間よりも、もっと動物的なものだというふうにいえないこともなさそうだ。 実際、女の人は、人生のジャングルや、ジャングルの中の迷路や敵や 湧き出る泉やそういうものに男の想像を絶した美しいイメージを与える手段 を持っている。もし理智というものを取り去って、女をその本来の肉体に即した 思考だけに限定するならば、女の世界には、ただ亡国だけしかあり得ない。 女は貞操を失うとき、その祖国を失ってしまう。かくのごとく、その肉体は 絶対で、その青春もまた、絶対なのである。 どうも、しかし、女一般だの男一般というような話になると、たちまち僕の舌は 廻らなくなってトンチンカンになってしまうから、この辺で、切り上げて、僕は やっぱり僕流に自分一人のことだけしゃべることにしよう。ただ、さっきの話の ちょっとした結論だけ書き加えておくと、女の人は自分自身に関するかぎり、 生活の一時間一時間を男に比べてはるかに自覚的に生きている。非常に はっきりとした自分自身を心棒にした考え方を持っていて、この観点から言う かぎりは、男に比べてはるかに 「生活している」 と言わなければなるまい と思う。 ~昨日の悪妻論で 中略したところの抜粋~ 先日、本の広告を見ていたら、詩人の恋文を、二人が恋しながら、 肉体関係のなかったゆえに神聖な恋だと書かれていた。おかしな 神聖があるものだ。精神の恋が清らかだなどとはインチキでゼスス様も おっしゃるとおり行きすぎの人妻に目をくれても姦淫に変わりはない。 人間はみんな姦淫をおかしており、みんなインヘルノへ落ちるものに きまっている。地獄の発見というものも、これまたひとつの近代の発見、 地獄の火を花さかしめよ、地獄において人生を生きよ、ここにおいて必要 なものは、本能よりも知性だ。 いわゆる良妻というものは、知性なき存在で、知性あるところ、女は必ず 悪妻となる。知性はいわば人間への省察であるが、かかる省察のあるところ、 思いやり、いたわりも大きくまた深くなるかもしれぬが、同時に衝突の深度が 人間性の底において行われ、ぬきさしならぬものとなる。 人間性の省察は、夫婦の関係においては、いわば鬼の目のごときもので、 夫婦はいわば、弱点、欠点を知り合い、むしろ欠点において関係や対立を 深めるようなものである。 その対立はぬきさしならぬものとなり、憎しみは深まり、安き心もない。 知性あるところ夫婦の繋がりは、むしろ、苦痛が多く、平和は少ないもので ある。苦痛をさけるべきではなく、むしろ、苦痛のより大いなる、より鋭くより 深いものを求める方が正しい。夫婦は愛し合うとともに憎み合うのが当然で あり、かかる憎しみを怖れてはならぬ。正しく憎み合うがよく、鋭く対立するがよい。 ですって♪ きママねぇさん はふねぇ。打倒>旦那!! れっつふぁぃ!!(笑 ま、、連休だし、連休なので本読んでました。 >他に長い夜の時間のつぶし方を知らない 本読んでたらあっとゆ間に明け方だ。。。。 >ところで、、 他人事っぽぃあたしは、どちらかとゆぅと安吾目線だから (--; ・・・・男の中に~女が一人ぃぃ 生まれた時からだったので (--; ・・・周りの野郎にすっかり物事男目線。男思考。 (--; ・・・男論理を刷り込まれちゃってるのですね。 (刷り込みの教育とはこわいものです。。。) (--; ・・・割と殿方に都合のいぃ女に成り上がってます はぃ・・ 身体は女で嗜好も女ですが、考え方の思考は殿方よりです。 男女間 永遠の問いかと、そして答えは性別により敵対する 『女と男、どちらが大変か』 の問いですが、わたくちのばやぃは、、 『そりゃもちろん、一も二もなく、殿方です。男は大変なんだぜ』 >だってさぁがんばって稼いだ金。例えば自分の稼いだ金。 >自分で使う権限なく、でかぃ面した嫁やガキに全部吸い取られて >そのうえ、邪険にされたら、あたしなら、、、、 >『てめ!誰の金で生活してると思ってんだよっ!!』 ←菊次郎ですかぃ? >家でくらぃ 好きに時間つかわせろっ!! >・・・・十中八九 >キレるな・・ ←元・直情短気 ←女に嫌われるタイプでせぅ。 女の愚痴より、殿方の愚痴のが同意できる部分が多いから (ここまで来ると、おばちゃんぢゃなくて、おっさんですね。) 殿方の愚痴は聞きますが、愚痴たらす女性は (たまに可愛らしいと思えない事もなぃけど) たぃがぃ鬱陶しいと思います。 >愚痴たらすの好きな女の方、愚痴話がストレス解消の方 >申し訳ありませんね♪ >あたしにはなるべく聞かせないでくださぃまちね♪ >そぢゃなきゃ笑い話にアレンジしてから聞かせてくだちゃぃ♪ 嫁の愚痴(妻・母目線)より、 弟の愚痴(大黒柱・仕事に追われ、たまに冷たい目線の嫁と冷戦を続けるおのこ) の愚痴のが、たぃがぃ筋通ってるといつも思います。 だから 生活の愚痴満載の井戸端会議とか、主婦連の会合とかも嫌い。 同意してないから相槌も打てないわけです。 (たまにつまんねぇ話だらだらしてんなぁ・・早く終わんねぇかなぁ・・とか思う) あたしは外で連れの悪口は言いません。(家ん中でも言わないけど だから女だけど・・・・・結論をきっぱり言うと 女々しいのが嫌いな訳です。 ←ほほほ♪あなた男らしくってよ♪ほほほ♪ ~ところで本日 台風な日~ ![]() 台風で時計草もうつむぃちゃってるこってす。 愛する息子とうちに篭ると・・・・ぅぅん ストレス解消できなさそなので お茶っぴきの美容院さんに お金でも落として癒しの時間でも過ごしてきよっと♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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