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竹田和夫。かつて彼より刺激的なギターを弾く人間が居ただろうか。 幼い頃ヴァイオリン弾きの顎に出来た痣を目撃してミュージシャンになることを決意、以後日本のバンドシーンの黎明期から関わり一番活動期間の長かったクリエイションのステージは本場以上のフィーリングを持つとまで言われた。影響を受けたミュージシャンはエリック・クラプトン、レズリー・ウエストを初めとするブルーズ系ミュージシャンで体内には深く黒人ブルーズが刻まれている。 彼が最初に影響を受けたギタリストは洪栄龍氏。一緒にビッキーズというバンドをやり、ここでは主にヤードバーズをプレイしている。なおチョーキングというブルーズギターをプレイするには欠かせないテクニックがあるのだが、洪氏、日本では相当前から習得し竹田にこれを伝授したらしい。ビッキーズ解散後いよいよ竹田のグループとして活躍する訳だが最初のグループがブルース・クリエイション(洪氏はブルーズバンド、ブラインド・レモン・ジェファーソンを経た後伝説の日本語ロックバンド乱魔堂で活躍する)。従来のブルーズに当時の刺激的なイギリスの白人ブルーズの新鮮味を加えたプレイをしていた彼等であるが、'72年に竹田が渡英、本場の空気を吸ってプレイに磨きがかかる。更にオールマン・ブラザースやハンブル・パイ、ウイッシュボーン・アッシュ等の影響でツイン・リードにすべく飯島義明を迎えバンド名もクリエイションとする。ここで火の出るようなギターバトルが繰り広げられたのである。 そもそも竹田の真骨頂は何か。コンサートの始まりを前にしてざわめく会場。竹田がレスポールを手にし弾きはじめる。情け容赦ない音量と圧倒的なテクニックで聞き手を金縛りにする。瞬間に会場の空気が変わってしまうのである。ある人は股ぐらをすり抜けていくようだと言ったが、それはレズリー・ウエスト以来、伝統の持ち味であり真にブルーズを己の物にし、かつ体内に危険な爆弾を持つ者だけが出来得る芸当で。ステージでこれが出来る人間はレズリー・ウエスト、竹田和夫の他ブラック・サバスのトニー・アイオミ辺りを挙げておこう。 1975年は日本ロック史でもエポック・メイキングとなった年であった。内田裕也が日本のミュージシャンも最早海外のミュージシャンと同等の力を持つと確信した結果のコンサートを開催したからである。ジェフ・ベック、ニューヨーク・ドールズといった当時の売れっ子ミュージシャンの他、フェリックス・パッパラルディも来日。竹田とパッパラルディを核としたワールド・ロック・フェスティバル・バンドはコンサート最大の呼び物となり「ナンタケット・スレイライド」ではパッパラルディのヴォーカルに加え本来硬派であるレズリー・ウエストとは対称的な咆吼する正に泣きまくる竹田のギターが聞けたのである。「ナンタケ」ではもしも最盛期のクラプトンがレズリーの替わりに弾いたらかくやというコンセプト風で竹田和夫渾身のソロであった。これがきっかけとなりクリエイションにパッパラルディを加えた形で渡米、レコーディングも果たしている。 帰国後も活躍し人気もトップとなる。この頃台頭したのがフュージョンで彼もジャズに走る。しかし根幹はロッカーであることを示すべく固定したメンバー(元カーナビーツ、アイ高野等)を加え新生クリエイションのスタートを切る。竹田の作曲による「ロンリー・ハート」は全国的なヒットとなった。何枚か優れた作品を残しクリエイションの幕を閉じる。 '90年に入り新たなグループ、ボーイズ・オン・ロックスを結成する。極めてソウルフルな女性ヴォーカル、橋本ヨーコを得てステージでは従来のブルーズロックに加えゴスペルタッチのロックも披露。ここでは3枚CDを出したがあまりコンサートの機会はなかった模様。 その後の現在、残念ながら日本での活動に見切りをつけアメリカでの新たな活躍を待たれる竹田であるが絶えず聞き手を興奮させる、魂の迸るプレイを再び我々の目の前に現してくれる事を願ってやまない。 (執筆-笹だんご氏)
偉いのはクラプトンからのコピーだけでなく、クラプトンが入れ込んだ昔のブルースマンたちの直接の音をしっかりと聞いていましたね。ここが平凡なクラプトンフォロワーと違うところです。 竹田和夫はクラプトンのハード要素を継承する一番手だったかも。「スピニングトーホールド」が売れたのがだめだったかなあ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Dec 17, 2009 12:19:10 AM
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