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実は・・・私が卒業した小学校であり、PTA活動にも邁進した小学校から「原稿依頼」がありました。
「今年は創立70周年なんで、いろいろな思い出を文章にして提出してください。」 そうなんです。 今年は「むつ市立第二田名部小学校創立70周年」の年なんです。 本当におめでとうございます。 ついでに申し上げますと・・・卒業した中学校…「むつ市立田名部中学校」も創立70周年・・・こちらもおめでとうございます。 戦後まもなく、新しい学制が敷かれ、私の母校以外でもけっこう「70周年」を迎えられた学校が多いんですよね。 そちらの皆様も、「おめでとうございます。」 さて、思い出ですけど・・・いろいろあって何を書けばいいのやら・・・ 実は私、この小学校では「50周年」の時にPTAの副会長・・・「60周年」の時にPTA会長を務めていましたから、本当にさまざまな思い出が今・・・走馬灯のように蘇ってくるんですよね。 「50周年」のときでしたが・・・ある方に連れられて、東京の分団の方々が集まるある居酒屋のようなお店に連れて行かれたことが何度か会ったんです。 その時そのお店にはたくさんの小説家や詩人の皆さんがお集まりだったんですけど・・・(あ、そうだ・・・この先生方を第二田名部小学校創立50周年の式典の時にでもおいでいただいて、記念講演してもらえばいいじゃないか?) 有名な作家さんばかりでしたから、どなたにお出でいただいても「けっこうウケるかな?」なんて思ったりして・・・ で・・・その中で候補に挙げたのが・・・詩人の「谷川俊太郎先生」と、よくテレビにも出られていた「少年H」を書かれる前の「妹尾河童先生」 もちろんご高名な先生方ですから、私も存じ上げておりましたが・・・とりあえず「谷川俊太郎先生」からお願いをしました。 「先生・・・うちの小学校の創立50周年に、なんとかお出でいただけませんか?」 すると・・・そっけなく「いやだ」というお返事・・・ 「僕は下北半島に何度も行ってるんだよ・・・もう行かなくていいよ。」 すると、お弟子さんというかお仲間の若い女性詩人の方が・・・「あ、私・・・青森県・・・特に下北半島に興味がある!」 この女性の方をプッシュすれば、「谷川俊太郎先生」は何とかなる・・・ そう思って一生懸命その女性詩人を焚きつけました。 すると先生・・・「そういえば・・・三沢市に〝寺山修二の記念館”が出来るんだよな?・・・俺・・・そこに行こうと思ってるんだ。」 もう一押し!猛烈プッシュ・・・ 「三沢から車で二時間ほどですから、よろしくお願いします!」 運がよかったんですかね?・・・これで来ていただくことになったんです。 さあ、そこからが大変・・・PTAの役員会で報告したら翌日・・・新聞社から取材の嵐・・・「どんな伝手で呼ぶことが出来たんですか?」「どんな御関係ですか?」っていう事を何度も聞かれ・・・東北各地の大学からも問い合わせ・・・「一般の人間でも講演を聴くことが出来ますか?」 ご高名な先生あという事は存じ上げておりましたがあれほどとは・・・実際、右往左往してしまいました。 あ、「どんな御関係ですか?」と問われた時の答え・・・「酒飲みの仲間です。」 実際は「谷川先生」・・・お酒は飲まれないんですけどね。 それとPTAの講演という事で・・・小学校の体育館に父兄と小学生だけを集めて・・・一般の観客は入れませんでした。 私も自分のしでかしたことに恐怖を覚えちゃったんですよね。・・・そこまで偉い先生だとも思わなかったんですもの・・・ 今でも「第二田名部小学校」には「谷川俊太郎先生」から書いていただいた色紙が残っています。 歴代の校長先生が個人用に持ち出していなければ・・・ 「それより原稿依頼はどうしたの?こんなブログを書いてるより、そっちを優先したら?」 そう言われそうですけど、私って文字数の制限があると書けないんですよね? どうしようかな? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.09.26 09:53:17
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