今日は「義勇組のお年取り」
「むつ市・小川町集会所」で開催されるんですが、「義勇組」の若者たち・・・そしてOB…小川町町内会の人たち・・・それから小川町町内会長から推薦された「田名部神社総代」が集まります。
町内会の人たちと、他の人たちとに別けたのにはちょっとわけがありまして・・・
実は私もそうなんですけど、「神社総代」でありながら、「小川町町内」には住んでいないんですよね。
そりゃ私だって他の人たちだって、元々は「小川町町内」に住んでいたんですけど、結婚など親から独立するときに家を出て・・・他町内に住んでる人が多いんです。
私が現在住んでいるところは「緑町」・・・元々「小川町町内」に生まれ育ち、親もずっとそこに住んでいましたから・・・「総代をやれ」と町内会長に言われやってるわけですけど、もしここに親の家がなければ・・・私としては大変なわけです。
だって「田名部まつり」の正装といえば「着物にカミシモそしてハカマ」・・・もちろん履物は「足袋に草履または下駄」となるわけです。
山車に着くときには「半纏」になるわけですけど、、そのたびに着替えるとなると「緑町」まで帰っているわけには行きません。
そこで・・・実家を売りもせず・・・私は祭りのたびにその家に一週間ほど過ごすことになるわけですけど・・・そのためだけに固定資産税を支払い電気水道代を払い・・・いつでもそこに暮らせるようにしているわけですけど・・・皆さん喜んでください。
な、なんと!・・・今度結婚する息子たちがこの家に住んでくれることになったんです。
だったらついでに「総代」も息子にやってもらえばいいと思うんですけど、先日町内会長から叱られました。
「あなたが決めることじゃない・・・町内会で決めることなんだから世襲でやってるんじゃないんだぞ!」って・・・
最後に・・・「ま、いずれはその息子さんにやってもらうことになるかもしれないが・・・とりあえずは町内で決めたアナタにずっとやってもらう。」と言われました。
従って・・・私は「田名部祭り」になるとその期間中前後、息子の家に「下宿」させてもらうことになるだろうな・・・
その問題は私だけで無く、町内会以外のほとんどの人が抱える問題なようです。
「義勇組」の人たちも・・・ここに住んでない人がいかに多いか・・・
「組頭」がよその町内から通って来たり・・・就職した先が・・・たしか「副頭」の一人がそうだったはずですけど、地方銀行に勤務して、青森県内あちこちを転勤して歩くとか・・・最近人数をそろえるのも大変なようです。
さて、今日はその「義勇組」のお年取り・・・
「義勇組」の山車の神様は「猩々様」です。
近年、総代になったばかりの私としては、何の神様なのかよくわかりませんが、・・・真っ赤なお顔をされてまして・・・もしかしたらお酒の神様かも・・・
昔は町内に「造り酒屋」・・・「中嶋酒造」さんがありましたからその関係かな?
よくわかりませんが・・・私も子供のころから拝んでいた神様です。
毎年町内の安心安全・・・そして家族や友人の健康をお祈りしています。
会場の中にはほかに。仏教を守護する四天王のお一人「摩利支天様」と「権現様」もお祀りされています。
「権現様」も元々は・・・仏教を守護する「神様」だっていう話しを聞いたことがあります。
「権現様」の「権」は・・・「次の」とか「代理の」という意味だそうで、「お釈迦様の代わりに御姿を現された神≫という意味なんでしょうね。
つまり・・・この「小川町集会所」にいらっしゃる神様たちは・・・「神仏混淆」という事になるのでしょうか。
だから・・・この集会所でのお祭りのときは、ずいぶん変わったものを見られるんですよ。
参拝の時・・・「線香を立てて柏手を打つ」んです。
最初は私も「変わった拝み方だなあ」と感心してましたけど、最近は慣れてきましたね。
ちなみに・・・私が「総代」を勤める「田名部神社」の御祭神は四柱いらっしゃいまして・・・
「下北半島総鎮守・示現太郎大明神」「海辺鎮守・味耝高彦根神」「十五代・應神天皇」「宇曽利山・大山祇神」の四柱なんですけどね・・・
この最初の「示現太郎大明神」は「栃木県日光市」の「二荒山神社」からお移りになられたと聞いています。
この「二荒山神社(ふたらさんいんじゃ)」ですけど・・・「二荒」と書いて・・・「にっこう」・・・つまり「日光」の語源となられたらしいです。
「日光」の神様が、なんで「下北半島」の神様になられたのか・・・不思議ですね?