カテゴリ:囲碁
ブログめぐりをしていて知ったのだが、碁は知的で高尚なイメージがあるので普及を妨げいるという論調があるらしい。これには天地がひっくりかえるほど驚いた。以前日記にも書いたことがあるが、私が碁を覚えた子供の頃は「碁なんて賭け事だし絶対身を滅ぼすからやっちゃ駄目」と言う人が圧倒的に多かった。特に多くの女性達は囲碁を明らかに憎んでいた。実際に碁にのめり込んでひどい事になった男どもを見ているから当然そうなったのである。
当時碁を打つ主な場所であった碁会所は品の良いところではなかった。大人同士のけんかが絶えず、当時私は「本来知的で高尚なゲームなのに、なんで品がない碁打ちが多いのだろう」と思ったものだ。 私が碁を覚える以前はもっと下品だったらしい。私の祖父は勝負事に負けると怒る人で、碁会所でしょっちゅう手がつけれられない状態になったそうだ。孫の私が碁を覚えたので祖母がずいぶん悲しんだようだ。今の若い人は、幸い醜い碁打ちというものを見たことが無い人が多いかも知れない。 最近は、だいぶ様変わりしてきた。碁会所が少なくなりネットで碁を打つ人が増えた。碁会所も、たいがい賭け碁禁止で健全になり閉店時間も早い。 子供の頃は、大人になってから碁会所で夜遊びするのを楽しみにしていたのに、遅くまで酒を飲みながら碁を打てる場所が少なくなったのはちょっと残念ではある。 最近はお母さん達が子供に碁を習わせることも増えてきたようなので、碁のイメージも大分変ったようだとは感じていたが 「知的で高尚というイメージが普及を妨げる」とまで感じる人もいるのには驚いたのだ。 現実にそこまでのイメージがあるのかは疑問だが、もしそうならたいへん嬉しいしいことである。そういうイメージを獲得するまでに至ったのであるから喜ぶばしい。 マージャン業界もイメージチェンジに必死になっているようだがそう簡単ではない。碁を打つ人が減り碁会所に通う人が減ってしまったのが、皮肉にも碁のイメージアップに結びついたようだ。自然界の法則により今後碁打ちが増えるのが期待できるのではないか。 さてそのイメージが普及の妨げになるのかどうか。「ルールを覚えるのが難しそう」「強くならないと楽しめない」という誤解が取っ付きにくくしているのは確かであろう。 ただ、今の時代に「知的なイメージ」がマイナスとも思いにくい。「高尚なイメージ」はどうか。子供が生け花や茶道を習いたいと言ったら、私のイメージからするとちょっと身構えてしまうとは思う。そういう分野では初心者には高尚すぎる教室もありそうな気はするが実際はどうなんだろう。 碁の場合は実際にはそれはほとんどないはずで、高尚なイメージとはあくまで棋士の世界に限定したイメージなのだろうか?それなら問題はない。 私の経験だが、初心者にとっては高尚すぎる雰囲気に馴染めず続けられなかったものがある。母親の兄弟に若い頃にテニスの県選手権で何回も優勝した人がいるのだが、その叔父さんに学生時代にテニスを勧められてテニスクラブに連れていってもらったのである。テニス自体はすごく面白かったのだが、そのクラブの貴族の社交場みたいな雰囲気に耐えられなくなって辞めてしまったのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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