カテゴリ:社会
最近近所に大きなパチンコ屋ができた。元々は、林に囲まれた広いお茶畑があった所だ。周囲は住宅地なので、こんな所にパチンコ屋ができたのに驚いた。
こんな場所で採算が取れるのか疑問であったし、車の往来が増えたり近くの緑が減ってしまったりで快く思っていなかったので、「さっさと潰れないかな」と思っていた。 ところが、意外に繁盛している気配なので、今日初めて偵察に出かけた。何年ぶりかにパチンコ屋に足を踏み入れたのだが、その風景に愕然とした。 ところで、私は馬鹿馬鹿しいことにかなり好意的だと思う。子供のころ、否定の表現として大人から「そんなバカバカしい。」と言われると反発したくなる性格だった。 囲碁ボケもしかりだが、人があきれるような馬鹿馬鹿しいことをまじめにやってしまう性格は変わっていない。 そもそも、現在は格式ある文化やスポーツなども、最初は馬鹿馬鹿しいと思われたかも知れない。世の中から馬鹿馬鹿しいことがなくなってしまったら、面白くない。 ただ、自分はもしかしたら馬鹿馬鹿しいことに好意的ではないのかな?と思うこともある。 大学の後輩にコンピューターゲームに夢中になって時間をつぎ込んでいる人がいて、「そんな事に時間を使って馬鹿馬鹿しくないのか。」と指摘したら、「コンピュータゲームも頭を使うし、楽しい。碁と同じだ。」と言われてしまった。 なるほど、と思ったがそれでもコンピューターゲームに時間をつぎ込むなんて、どうしても時間の浪費にしか思えない。 パチンコに時間をかけるのも、それ以上にくだらないと思っていた。もちろん、それぞれの個人の勝手なのだが、今日パチンコ屋の風景を見てちょっとゾッとしてしまった。 何しろ中が広い。そこに、パチンコ台が綺麗に並んでいて、しかもほとんど満席だ。タバコで空気が悪いのは相変わらずだが、驚いたのは軍艦マーチが流れていないこと。ゴーという凄まじいパチンコ台の音が鳴り響いているだけある。 しばらくして、いつぞやと同じ気持ちになった。極端にコストを落として合理化した回転すし屋に入ったら、家畜が溝に入った餌を食べている状況が頭に浮かんで来たという時のことだ。 この光景は、まさに娯楽を与えられている家畜の姿だ。相手は機械、しかも所詮勝負は店にコントロールされている。 昔ながらの軍艦マーチの流れる小さなパチンコ屋に感じた人間性みたいなものも感じられない。 たくさんあるパチンコ屋で、どこもこんなに人が一杯だとしたら、パチンコ人口は囲碁人口の1000倍はいる気配だ。なんたること! パチンコ屋の繁盛は相当に政府の策略じゃないだろうかと疑っている。 宝くじと同じでガス抜きの意味、そしてさらには国民が頭を使わないようにして、あまり利口にならないようにコントロールしているのではないかと疑うのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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