3月24日(火)
徳島駅前に着いた私はまず、駅前を散策。周辺にはそごう徳島店がある(これは明石海峡大橋の開通以前から営業中だという)。聞き込みをしてみたところ、駅の南西にある阿波踊り会館、およびロープウェイ入り口に向かうことに。徳島市営バスも走っているのだが、
徒歩で歩くことにした。町の雰囲気や様子がよく伝わってくると思うから。新町川に架かる新町橋の両脇には公園が整備されていて、家族連れなどの憩いの場となっている。
阿波踊り会館はその名前の通り、徳島の伝統的なお祭りである阿波踊りを紹介する阿波踊りミュージアムが入居している建物である。阿波踊りのシーズンは8月12日~15日だが、
徳島ヴォルティスがJリーグ加盟を決めた2004年12月には、真冬なのに阿波踊りが行われたそうだ(後で新聞の縮刷版で確認してみたい)。
また、眉山ロープウェイの駅が併設されていて、そこから眉山の頂上に行くことができる。私はロープウェイで山頂を目指すことにした。ちなみにロープウェイ乗り場と同じフロアにある喫茶店のTVでは、
野球のWBC決勝戦の中継が行われていた。そこでは店員と客が注目していた。ちなみに日本が2連覇という結果を私が知ったのは、屋島に着いた頃だった。
山ろく駅から約6分で山頂駅に到着し、展望台に上がると以下の写真のような絶景が。
眉山の展望台から徳島市街地を望む。写真中央の大きな川は吉野川。森のある丘の部分が城山(徳島城跡)、写真中央の下には徳島そごうや徳島駅がある。
天気のいい日には淡路島や紀伊半島も望めるという眉山。古くは万葉集にも登場するこの山は徳島市のシンボルともいうべき観光スポットだ。
展望台の近くにモラエス館という建物があった。少し気になったのでそこに行ってみた。
そもそも
モラエスというのはどんな人物なのか。私も徳島に来るまで全く知らなかった。そもそも、モラエス(1854~1929)とは
20世紀初頭に日本で活躍したポルトガル人の外交官である。神戸にある総領事館に総領事として勤務していたが、日本人の妻が亡くなった後の1913年7月に退職し、亡き妻の故郷である徳島で隠居生活を送った。
モラエスは徳島で作家として活躍し、「おヨネと小春」「日本精神」「徳島の盆踊り」など多数の作品を執筆した。
モラエスは徳島という町をこよなく愛し、亡くなるまでの17年間住んだ。母国ポルトガルとは家族、友人と文通するだけで母国に帰ることはなかったことから、彼の墓が現在も徳島市内にあることが、それを物語っている。
徳島県にゆかりのある人物はかなり少ないと思っていた私だが、
実は玄人好みの町である分、愛する人は熱心に愛しているのだなあと感じた。
時間の関係上、ここで下山して徳島駅を目指すこととする。本来ならば徳島ラーメンも食べたかったのだが、残念ながらあきらめることにした。なぜならガイドブック(昭文社の「たびまる」)で紹介されているお店が市街地から遠いことや、お金が足りなかったこと、そして讃岐うどんとかぶってしまうからだ。
次回は特急うずしお号に乗って屋島、そして高松市内に向かいます。