3月26日(木、晴れ)
岡山駅で降りるのは今回が初めてだ。初めての「晴れの国」岡山県(というより岡山市のみ)を可能な限り楽しみたいと思った。
今年4月、
全国で18番目の政令指定都市になった岡山市。北区、中区、東区、南区の4つの行政区で構成されている(単純な名前だなあ・・・)。しかし3月26日に私が岡山に来た時点ではまだ政令指定都市ではなかったが、カウントダウンが近づいていた。私が見たチラシでは
「水と緑が魅せる心豊かな庭園都市」「中四国をつなぐ総合福祉の拠点都市」というサブタイトルがついていた。実際にそのような理想が実現するのは、いつのことだろうか。
さて、「たこめし」で昼食を取った後、私は岡山駅東口の路面電車乗り場へ。ここから岡山電気軌道(通称・岡電)で岡山城に向かいたい。それにしても日本の路面電車は西日本に集中しているというのが実情だ(堺、
岡山、広島、松山、高知、長崎、熊本、鹿児島)。
岡電7200形電車。この電車に乗車する(写真は城下駅で撮影したもの)。
岡山駅前の停留所から1系統・東山行きの電車に乗る。電車は桃太郎大通りを東に向かう。柳川で清輝橋方面と別れると少し東に直進し、目的地・城下に到着。電車はこの先、南に曲がり、城下筋を通って東山に向かう。
城下停留所から徒歩10分ほどだろうか。岡山城の入り口に到着した。岡山城の外壁の下見板には黒漆が塗られていたので、太陽光に照らされるとあたかもカラスの羽色によく似ていたことから「烏城(うじょう)」とも呼ばれている。天守閣に通じる階段を登っていくと、案内所が見える。ここで入場券(800円)を買い、城内へ。城内では「
岡山開府物語・宇喜多氏から池田氏へ」という特別展が開かれていた。
ここで簡単に岡山城の歴史を語らせていただきたい。
1573年に宇喜多直家が金光宗高を滅ぼして以来、16世紀までは宇喜多家の居城として使われていた。天守閣を築いたのは宇喜多秀家だった。豊臣秀吉の養子だった秀家は、
57万4000石という広大な領地を父から引継ぎ、若くして大大名となった。
しかし1600年の関ヶ原の戦いにおいて、宇喜多氏は豊臣側についたため、岡山城を追い出され、秀家は島流しにされた。その後、豊臣側から徳川側についた小早川秀秋が岡山城の主となるが1602年に21歳で亡くなった。その後、1603年から明治維新まで260年以上・12代の長きに渡って池田氏の居城だった。
その後、私は城内を見学してこのお城、そして岡山の歴史を勉強した。また、見学の途中では天守閣の一番上から見る岡山市内(岡山県庁、後楽園、旭川など)を見てみたり、地元のおじいさん・おばあさんとお話をしたり(地元の話がほとんどだった)、と楽しいお城見学となった。