富山駅に戻った私は連絡通路を通り、早朝に行った南口へ(
その3参照)。そこには地鉄市内線の停留所があった。
地鉄8000形電車(1993年デビュー)。ただし5両と少数派だ(7000形が12両在籍)。大学前(富山大学)行き。
8000形が出発していった乗り場を撮影(南富山方を望む)。
私はここでは電車に乗らず、徒歩で富山駅南口の中心部を移動。オフィスビルや銀行の支店が立ち並ぶ通りで、賑わっているような印象だった。華やかな観光スポットがあるわけではなく、普通の生活があるような風景が私は好きなのかもしれない。
富山県庁。NHK富山放送局のすぐ南西にあった。
富山市立中央図書館のエントランスホールに飾られていた絵画。美術館のような一角だったが、絵が印象的なので撮影したのだった。
県庁前停留所付近を走る7000形電車。旧塗装だ。
雪化粧した公園の中の富山城。戦国時代(1543年)に築城されたお城だ。後に前田家によって大改修が施される。1609年に火災で焼失し、越中国の政治の中心は高岡城に一旦移ったものの、大坂の陣以後は再建された富山城に政治の中心が再び移された。そして明治の廃藩置県により廃城となった。現在のお城は戦後再建された模擬天守であり、中は富山市立郷土博物館となっている。
着陸態勢?の全日空機。伊丹空港のように「富山空港が近いのか」と思ったが、その通りだった。神通川沿いにある富山空港へは富山駅から連絡バスで25分というアクセスの良さだった。
9000形(セントラム)に飛び乗って富山駅に戻る。
ここで私が乗った電車は環状線と呼ばれる路線だ。2009年12月23日に開業したばかりの新しい路線だが、実は一旦廃止された路線を復活させたものだ。富山市中心部の繁華街の賑わいを取り戻すための一環だった。停留所の名前も国際会議場、大手モール、グランドプラザ前と、近未来的だったりする。
車内から富山城を撮影。
車内は第一印象としては、JR九州の通勤電車のようなイメージだった。
西町からは従来の市内電車に合流するのだが、個人的に気になったことがある。
総曲輪(そうがわ)という地名。
地元の方々には申し訳ないが
「読めねえよ」と思ってしまった。でもよく調べてみたら、富山市最大の繁華街だったとのこと。・・・失礼しました。
乗車してきた9000形を撮影。デザインが実に印象的な電車だった。
この後、富山駅に向かい、乗る予定の金沢行きの発車時刻が迫っていることを知ると猛ダッシュで駅構内を走ったのだった・・・。
(その8)に続く。