岩瀬浜の海水浴場(
その5参照)を眺めた後、私は本題の岩瀬地区へ。
岩瀬浜駅から少し南に歩くと岩瀬運河(富岩運河)を渡る。その川沿い(?)に岩瀬カナル会館という観光客向けの施設があったので立ち寄ってみた。そこでは地元のお土産が売られている売店やカフェが入居していた。しかし私はその近くにあった
「ノーベル街道」というのに興味を持った。
ノーベル街道という愛称が与えられたのは、国道41号線の富山市から岐阜県高山市中心部までの区間。
ノーベル賞を受賞した4人の出身地がその区間に集中していることに由来する。
・田中 耕一氏(2002年ノーベル化学賞受賞・富山市出身)
・利根川 進氏(1987年ノーベル医学生理学賞受賞・名古屋市出身だが小学生時代を富山県大沢野町で過ごした)
・小柴 昌俊氏(2002年ノーベル物理学賞受賞・愛知県豊橋市出身。岐阜県神岡町にスーパーカミオカンデを建設)
・白川 英樹氏(2000年ノーベル化学賞受賞・東京都新宿区出身だが小学3年時から高校卒業まで岐阜県高山市で過ごした)
帰宅後に「ノーベル街道」の写真を母に見せたところ、母も初耳で驚いた。それから私は「特定のエリアに集中しているのはすごい。自然環境以外の理由は何だろうか」と考えるようになった。
ノーベル街道ガイド(外部リンク)
ノーベル街道・起点(岩瀬)の標識。国道41号線はここから高山経由で名古屋まで南下する。
岩瀬運河を渡った後に富山港方面へ右折する。
英語の他にロシア語表記があったのが日本海側の町らしくて面白いと思った。稚内でもそうだが、富山はロシア(極東部)と活発な交易や交換留学生といった交流でもしているのだろうか。
目的地である森家までは少し距離があった。その道中には様々な料亭や和菓子屋があったのだが、何となく目立っていたのはドラ焼きだった。とある店に立ち寄ってドラ焼きを2個買って食べてみた。よく見たら三角形だ。なぜなのか?お店の方に聞いたところ、日本海の波をイメージしたものだそうだ。
ドラ焼きと言えばドラえもん。ドラえもんと言えば藤子・F・不二雄。さらに彼の出身地が富山県(高岡市)という連想から私は納得していた。しかし調べてみると富山県では冠婚葬祭の際にドラ焼きを贈る風習があるらしい。それが彼にとって故郷のシンボルのように見えたのか、ドラ焼きが大好物という設定がドラえもんに取り入れられたのかもしれない。
ここには江戸時代、西廻り航路の寄港地として栄えていた頃の富山の街並みが残っていた(再現されたのもあるかも)。
物流の主力が海運だった江戸時代、蝦夷(北海道)から日本海側、下関、瀬戸内海を周る海運ルートを
西廻り航路と呼んだが、
これは現在でいう東名高速道路のような物流の大動脈だった。日本海側の町からあらゆる産物が大阪に集まり、大阪は天下の台所と呼ばれた。そして大阪からは最新の文化が発信され、日本海側の武士や商人は都会ファッションを楽しんでいた。
その産物の代表例が
昆布だ。海運業者は日本海側の町から大阪への航路の途中、寄港地で商売をするようになった。例えば昆布(現在でも国産昆布の9割以上が北海道産)を北海道で仕入れ、それを山形や富山、終点・大阪といった寄港地で売りさばいた。1回の航海で(現在の価値で)1億円もの利益が出たらしく、商人は大層栄えたそうだ。
西廻り航路で活躍した船は北前船と呼ばれた。富山ライトレールの駅でも出てきた。
いよいよ、これが注目の北前船回船問屋・
森家である。
1994年12月に国の重要文化財に指定された建物だ。
街の景観に合わせて、北陸銀行の支店も回船問屋風になっていた。京都か、ここは。
時刻は13時前。近くの食堂でタンメンを食べた後、富山ライトレールに飛び乗って富山駅へと戻ったのだった。ちなみにアテンダントさんは乗務していなかった。それでも2両編成の電車の車内は小中学生の声で活気づいていた。