今日は弟の誕生日です。私は両親、弟とかれこれ四半世紀に亘って一緒に暮らしていることになります。私は弟と1歳半しか年齢が違わないからなのか、関係は良くないです。まるで高坂桐乃と高坂京介のようなもので、関係は淡白です。兄弟げんかを通り越して、日ごろの挨拶もロクに交わさない時期がありました。目障りだと思った時期もありました。
2学年下の弟とは当初、仲良くやってきたように感じました。共に小学生だった時代、習い事の帰り道に一緒に肩を組んで帰ったり、散歩途中で肩車をしたりしました。弟はやんちゃな遊び相手というイメージがありました。同じ鉄道ファンのようなことをしていた時期もありました。
しかし私が中学生になった後、弟は兄離れをしたのかもしれません。鉄道の話をすることはほとんどなくなり、サッカーがメインになりました。私の付属物(おまけ)ではなく、一人の男として成長を始めたように思います。心の底できっと「決して兄貴のような変人にはならない!」と思っているに違いありません。現に、今でもアニメやマンガ、ゲームについて好きなジャンルが違い過ぎます。弟はバイオハザードとか戦争系のゲームを好むのに対し、私は「人を殺すようなゲームはしたくない」と考えています。
もう一つの転機は、弟がアメリカ留学に出かけた時です。2005年春、弟(当時高校2年生)は2ヶ月間のアメリカ留学に出かけました。それを境に、放送禁止用語を発することが多くなり、非常に耳障りで聞くに堪えないことを聞かされました。母は厳しく注意しましたが、それでも治らずという状態です。アメリカの人々の生の生活を見てきたことで、当時アメリカ嫌いだった私との差が大きくなりました。
そして「私とは修復不可能な溝があるな」と感じたのは去年6月のことでした。とある国際問題について議論になった時、私の世界観と大きな隔たりを感じました。弟があまりにもボロクソに相手のことを言うので私は我慢ができなくなったのです。いずれにしても私と弟の両方が、自分の価値観を大切にしようということで衝突したのでしょう。
また、自分のバックグラウンドについての考え方も、私とは大きな隔たりがあります。弟は父方の田舎で生まれたことを誇りに思っているようなフシがあるのに対し、私はそうは思っていません。
人間というのは学習し、成長する生き物です。中学生の時に考えていたことと20代の時に考えていることが全く同じだったらむしろ変です。弟は小中学生時代、将来は冒険家になるだとか、プロの卓球選手になるとか様々なことを言っていましたが、今は教員に変わっています。世界観や自分の哲学も中学生時代と大分変わっているはずです。しかし私には「そんなことは分かっている。だけど・・・」という感情的なしこりは残ったままです。
弟は私と同様に教員志望です。しかし私とは異なり、早くから教員になる準備を進めていました。遅くとも学部3年生の時には神奈川県内の学習塾で講師として働いていました。教員になることについて弟自身もそれなりに考えているようです。
まだまだ積もる話はありますが、今日は素直に祝福します。
弟よ、25歳の誕生日おめでとう。
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Last updated
Aug 27, 2013 11:37:24 AM
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