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テーマ:海外旅行(7129)
カテゴリ:ヨーロッパ旅行(2014年夏)
7月28日。
その日の朝、東京のカード会社に相談した私は、自分のカードにキャッシングの機能が備わっていないことを知り、愕然とさせられました。しかしここで、予備として5000円を換金せずに残しておいて良かったと思いました。街中の両替所で4000円→27ユーロ76セントに換金しました。非常事態なので仕方がないですね。 前日の教訓。ホテルのレストランで朝食を取るとなると10ユーロも取られるので、外出してカフェを探してパンを2個買うことにしました(計2ユーロなり)。ホテルよりはかなり安上がりでした。水はミネラルウォーターが残っています。店主のおじさんがいい人そうで良かったです。 9時前にホテルを出発。この日はいよいよポルトガル旅行のメインイベント、ロカ岬に行きます。金欠なので地下鉄は使わずに徒歩でロシオ駅まで行くのですが、その前に寄り道。 リベルダーデ通りにある石畳。白と黒のツートンカラーの石畳が公園の緑と調和していて、良い感じだと思います。 DESCOBERTA DA AMERICA 1472 「1472年 アメリカ発見」という意味です。しかしコロンブスが大西洋を横断して西インド諸島に到達したのは1492年のこと。どうして1472年と20年も早いのか、今の私にはわかりません。 リベルダーデ通りをしばらく下って東側を見ると、急な坂道が数多くあります。もはや登山みたいでした。 ここから、モラエスの生家に寄り道してみます。 モラエスは日本と馴染みの深いポルトガル人の一人で、明治時代に活躍した外交官です。当初は海軍士官としてマカオに赴任しましたが、1899年に来日(領事として神戸に赴任)しました。妻が徳島県出身という縁から、老後は徳島に移住して作家として生計を建てました。 徳島のモラエス館については2009年5月4日の日記を参照してください。 急な坂道を登ること10分ほどして・・・。 展望台みたいな場所に到着です。リスボンは丘の町なので、見晴らしが非常に良いです。 この近くにモラエスの生家があります。 こちらがモラエスの生家のアズレージョ(ポルトガル風タイル)。ポルトガル語と日本語で紹介されています。 生家の全体を写した写真。現在は一般の人が住んでいるので足早に去ることにしました。 例によって急な坂を下り、ロシオ駅へ急ぎます。 レトロ調のおしゃれな駅舎のロシオ駅。この駅からは世界遺産の都市、シントラ方面へ行くことができます。 ちょうど夏休みとあってか、駅構内の切符売り場は観光客で行列が出来ていました。しばらく並んだ後、シントラ、ロカ岬、カスカイスを周れる周遊割引切符を購入し、電車に乗り込みます。 なお、車内でブラジル人の旅行者(おっさん)と話をする機会がありました。私は彼から話しかけられたのですが「I'm from Tokyo.」と英語で言うと彼も気さくに会話に応じてくれました。サンパウロ出身の彼はブラジルで日系人が苦労した話とか、「秋祭り」という単語を紹介されたりしました。楽しい英語でのおしゃべりになりました。 ロシオ駅から45分ほどで終点・シントラ(Sintra)駅に到着(11:20着)。ブラジル人のおっさんとは「Have a nice trip!」とお互いに言ってお別れしました。 ロカ岬行きのバスが12:10発なので、それまで駅周辺をブラブラと歩きました。世界遺産に指定されている町とあってか、観光客が多かったです。 403番のバスに乗ります。途中から箱根の山道を高速で走っているような気分になりました。 バスに揺られること45分。 ロカ岬近くの灯台です。ヨーロッパ最西端の地はすぐそこです。 CABO DA ROCA ユーラシア大陸最西端の地・ロカ岬に到着です。 東京から実に1万1000km余り。ここまで来ることができて感無量でした。 ちなみにこの碑には、ポルトガルの詩人・カモンイスが詠んだ詩の一節が刻まれています。 「AQUI...ONDE A TERRA SE ACABA E O MAR COMECA...」 「ここに地果て、海始まる」 という意味です。北緯38度47分、西経9度30分にある(朝鮮半島の軍事境界線と同緯度の)ロカ岬からでした。 大西洋を望みます。太平洋は何度も関東で見たことがありますが、このような雄大な大西洋を見るのは初めてかもしれません。 私はその後、足早にロカ岬を去り、リスボンへ帰還したのでした。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Sep 14, 2014 10:16:18 PM
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