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カテゴリ:山陰地方旅行記(2015年末)
いよいよ、JR西日本が誇る気動車特急車両のキハ187系に乗車します!
14:01発 特急・スーパーまつかぜ10号 鳥取行き(2010D列車。益田12:17発) 停車駅:玉造温泉、松江、安来、米子、倉吉、鳥取大学前、鳥取 2両編成というのが寂しく感じられます。前寄りの2号車(自由席)に乗車しました。 座席はこんな感じ。 しかし、下りの快速アクアライナーとの行き違いが遅れたため、出発も数分遅れることになりました。 2号車の座席から運転席を眺めます。自由席である2号車には多くの乗客がいました。対照的に指定席である1号車には(目視で確認したところ)ほとんど乗客がいませんでした。この後、2号車には米子から中国人の家族連れが乗り込んできて車内が騒がしくなりましたが・・・。要するに、出雲市~鳥取間は安い特急料金ということもあって自由席は大混雑なのでした。 場合によっては、1号車の一部座席を自由席として開放したり(パーテーションで区切ったり)、あるいは指定席の利用客に飲み物サービスなどの特典を与えても良いのではと考えたりしました。 松江までは左手側に宍道湖を眺めながら走ります。山陰本線の米子~出雲市間は日中には特急が毎時1~2往復走る、隠れた特急街道です。そのため来待~玉造温泉間、松江~東松江間など一部区間が複線化されています。 早朝にいた松江に到着。 松江を出て25分ほどで米子に到着。ここはJR西日本の支社もある、交通の要衝です。 2001年まで山陰本線を走る特急は、米子で系統分断されていたようです。国鉄時代の山陰本線特急だったまつかぜ(大阪~米子~博多)を系統分断した結果です。ちなみにまつかぜ号は1986年10月に運転を終了しました。JR初期の1988年当時、山陰本線を日中に走っていたのは 「はまかぜ」(大阪~姫路~鳥取・倉吉・米子) 「やくも」(岡山~出雲市) 「あさしお」(京都~城崎・米子) 「おき」(米子~小郡) 「くにびき」(米子~益田) 「いそかぜ」(米子~長門市~博多) 以上の6種類でした。現在も残っているのは「はまかぜ」「やくも」「(スーパー)おき」の3種類。 1988年当時の時刻表を見ると、現在と比べて特急の本数は非常に少なく、米子~益田間を通しで走る列車に限ると5往復しか走っていませんでした。さらに線路改良前だった当時の米子~益田間の所要時間は2時間59分~3時間10分ほど。 これでは山陰本線どころか東西に長い鳥取・島根両県の迅速な移動すらままならない状況でした。そこで1999年から2001年にかけて米子~益田間の、2002年からは'03年にかけて鳥取~米子間の高速化工事が行われました。 これらの線路改良や振り子式のキハ187系導入などにより、米子~益田間は2時間31分ほどに短縮されました。現在は米子~益田間を通しで走る特急は7往復。民営化直後と比較して30分ほどのスピードアップになりました。私が乗車したスーパーまつかぜ10号は出雲市から鳥取まで1時間52分で走破します。 右手側に大山を眺めながら、山陰本線を東に進みます。はっきり言って単調な景色が続きました。 定刻より4分ほど遅れて鳥取に到着です。出雲市で発生した遅れが最後まで響きました。 さらに前夜は深夜バスで移動、早朝から精力的に歩いていたせいか身体はクタクタに疲れており、早く寝たい気分でした。 早速、この日の宿である東横イン・鳥取駅南口にチェックイン。すぐにシャワーを浴びてすっきりしました。 しばらくゆっくりした後は夕食に出かけることにしました。鳥取駅は・・・なんだか寂しいです。 鳥取駅北口の商店街にあるお店で夕食としました。豚丼がおいしかったです。 夕食後はホテルに戻り、パソコンを借りてアニメ鑑賞。 「Go!プリンセスプリキュア」第46話、「緋弾のアリア」第11話、第12話(最終話)、過去作として「エスカ&ロジーのアトリエ」を視聴して就寝しました。鳥取といえば鳥取砂丘、砂丘といえば黄昏の大地・・・を連想してしまう自分がいました。そういえば、緋弾のアリアにも鳥取出身のキャラ(高千穂麗)がいましたが。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jan 22, 2016 11:48:45 AM
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