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カテゴリ:Nishikenの旅行記アーカイブ
八幡駅に降り立った私は連絡通路を通って、駅の北口に出ました(その3参照)。
目的地は、東田第一高炉跡。 八幡駅からしばらく東に15分ほど歩きます。遊休地が多いです。 東田第一高炉跡地(史跡広場)に到着!1901という数字が印象的です。 ここは日本史では絶対に外せない八幡製鉄所がスタートした場所です。高炉とは製鉄所のシンボルとなる施設で、鉄鉱石とコークス(石炭を蒸し焼きにしたもの)、石灰石を投入し、火を吹き込むことで溶銑(鉄鋼の大元となる素材)を作り出します。「1901」はこの高炉の火入れが行われた年で、製鉄所の歴史がスタートした年を表しています。 製鉄所ということもあり、金偏にまつわる漢字を紹介するコーナーがありました。 ここで北九州工業地帯、八幡製鉄所について少し長い説明をします。 組織としての八幡製鉄所は1897年6月1日に発足(開庁)しました。前年に帝国議会が下関条約での中国(清)からの賠償金を元手に製鉄所の設置を決定し、後に福岡県八幡村への設置も決定されました。実際に操業が始まったのは1901年。2月5日に東田第一高炉への火入れが行われ、5月から6月にかけて製鋼工場、中形工場、小形工場、鋼板工場などが次々と操業を開始しました。 製鉄所が八幡に設置された一因として、立地上の理由があります。第一に、鉄鉱石を産出する中国からの輸入に便利な場所だから。第二に近くに大規模な炭田があるから。以上の2点が挙げられます。その炭田が筑豊炭田です。現在、製鉄の原料となっている鉄鉱石は昔から通して国産のものは無く、輸入に頼りっぱなしです。鉄鉱石は主にオーストラリア、インド、ブラジルから輸入されています(戦前は中国から、戦後しばらくはマレーシア、インドから輸入していました)。 その一方で国内で賄えたのが石炭と石灰石でした。筑豊地区で石炭の採掘が開始されたのは室町時代だと言われています。明治維新後の産業革命で炭鉱が発展し、八幡製鉄所の発足でさらに生産量が増えました(戦前は最大の採炭地でした)。最終的には筑豊本線沿線、現・平成筑豊鉄道沿線、遠賀川沿岸に多数の炭田が存在していました。特に筑豊本線には貨物専用の支線が多数存在していました。正に、八幡製鉄所を中心とする北九州工業地帯を支える存在でした。 八幡製鉄所は当初、官営製鉄所と呼ばれましたが、1934年には官営製鉄所と5つの民間製鉄会社が合併し、半官半民の日本製鉄株式会社が発足。現在の新日鉄住金が保有する製鉄所の多くはこの日本製鉄時代から歴史が続いています。その後、第2次世界大戦→敗戦→財閥解体となり、日本製鉄は解散。八幡製鉄、富士製鉄など4つの会社に分割されました。その後、八幡製鉄と富士製鉄は再び合流。1970年に新日本製鉄株式会社が発足しました。そして2012年10月には住友金属工業と経営統合して、現在の新日鉄住金株式会社となりました。 所在地となる町も当初は八幡村でしたが、戦後は5市(門司市、小倉市、戸畑市、八幡市、若松市)がどんぐりの背比べのごとく存在するようになりました。1963年2月に5市合併で北九州市が誕生。同年4月に政令指定都市になりましたが、これは三大都市圏以外の地域では初めて、かつ、県庁所在地でない都市では初めてという、初めて尽くしの事例でした。 それに伴い、八幡製鉄所は戸畑区と八幡東区に跨るものとなり、住友金属と経営統合した現在は旧・住金が保有していた小倉製鉄所とも組織を統合しています。 しかし1970年代になり、新日鉄は最新鋭の製鉄所を東京湾沿岸に稼働させました(君津製鉄所)。さらに筑豊炭田も採掘量の減少から次々と閉鎖されました(1976年に最後の鉱山が閉鎖されました)。石炭から石油へのエネルギー革命の中で、この東田第一高炉は1972年に廃止となりました。1979年には八幡東区内の高炉や製鋼工場などが全て廃止となり、多くの遊休地が発生しました。それを象徴するかのように、北九州工業地帯自体の地位も低下しています。鉄道でも宮田線、上山田線など筑豊地区の炭鉱の町に乗り入れていた路線や貨物支線が次々と廃止になりました。 1990年には八幡製鉄所の本部事務所が八幡東区(枝光)から戸畑区に移転(現在、主な高炉は戸畑区にあります)。同年には東田エリアの遊休地を再開発してスペースワールドが開園しました。また、JR鹿児島本線の線路が移設されて路線の営業距離が1km短縮されるという効果も出てきています。 現在の北九州工業地帯は主に若松区で環境保護に力を入れています(エコタウン事業)。若松区には総合環境コンビナート、響リサイクル団地があります。そして筑豊本線の折尾~若松間(非電化区間)では2016年10月に、蓄電式電車である819系(DENCHA)がデビューする予定です。 もう一つの主力事業は自動車産業です。宮若市にはトヨタの、苅田町には日産の工場がそれぞれ存在しています。 以上、八幡製鉄所と北九州工業地帯の簡単な説明でした。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Sep 18, 2016 08:55:24 AM
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