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カテゴリ:日本・世界の地理
外国の国家元首の訃報で、これほど強いショックを覚えたのは初めてです。
エリザベス女王が亡くなられました。96歳でした。 今朝6時に起床して、スマホでニュースをチェックしていた所、訃報を目にして、眠気が一気に吹き飛びました。数日前に「深刻な体調不良」というニュースが流れていたのに、容態が急変したのだと思われます。それも合わせて非常にショックでした。 思えば物心ついた時から「イギリスの王様」と言えばこのお方だというイメージがありました。このお方以外、考えられないという気持ちでした。写真でも、映像でも、たくさん目にしました。 女王様は、イギリス(連合王国)の国王でありました。それと同時に、 ・カナダ国王 ・オーストラリア国王 ・ニュージーランド国王 など、イギリス連邦を構成する国々(56か国。人口総計は約24億人)のうち、14か国での国家元首を兼任されていました。ちなみにイギリス国王を国家元首とする独立国は、 ・オーストラリア ・アンティグア・バーブーダ ・バハマ ・ベリーズ ・カナダ ・グレナダ ・ジャマイカ ・パプアニューギニア ・セントクリストファー・ネイビス ・セントルシア ・セントヴィンセント及びグレナディーン諸島 ・ニュージーランド ・ソロモン諸島 ・ツバル 以上の14か国です。 私は人生で2回、イギリスに旅行に行きました。最初は1995年、家族旅行(アントワープからロンドンへ日帰り)でした。二度目は2004年3月、高校の修学旅行でした。その時は成田空港からJAL機でロンドンへ飛びました。グリニッジ、ストラットフォード・アポン・エイボン、ウィンザー城などを訪問。最終日は三越・ロンドン店(2013年閉鎖)が集合場所でした。 また、日本アニメの中でもイギリスを舞台にした作品が数多くあります。その中で代表的なのが「きんいろモザイク」だと思っています。その他には、 ・けいおん!(劇場版) ・黒執事 ・とある魔術の禁書目録(第3期) ・BURN THE WITCH ・プリンセス・プリンシパル ・機巧少女(マシンドール)は傷つかない ・魔法使いの嫁 ・憂国のモリアーティ などなど、他にも探せばたくさんあります。 女王様は最後まで凛とされていました。即位の時から崩御の時まで、イギリスは様々な苦難に直面してきました。「イギリス病」とも言われた深刻な経済低迷。ダイアナ妃の突然の死。EUからの脱退。コロナ禍。でもそのたびに、女王様は正に「国民統合の象徴」でした。 2022年、イギリスはコロナ禍から脱却し、元の「安心できる生活」を取り戻しました。 女王として70年間、ありがとうございました。 ご冥福をお祈りいたします。 イギリス連邦の諸国に栄光あれ! エリザベス英女王「安らかに」死去、国葬はウェストミンスター寺院で(9日、読売新聞) 英国のエリザベス女王が8日、英北部スコットランドのバルモラル城で死去した。96歳だった。女王は今年2月、即位70年を迎え、存命の国家元首としては在位期間が世界で最も長く、最も長寿だった。女王の長男で王位継承順位1位のチャールズ皇太子(73)が「チャールズ3世」として新国王に即位した。 バルモラル城で静養中だった女王は8日朝、医師団から健康状態への懸念が示され、城にとどまって医師の処置を受けていた。女王を見舞うため王室メンバーらが次々と駆けつけた。英王室は同日午後6時半(日本時間9日午前2時半)頃、「女王が本日午後、バルモラル城で安らかに死去した」と発表した。 チャールズ国王は声明で、「最愛の母である女王陛下の死は私と私の家族全員にとって最も大きな悲しみの時だ。私たちは、大切な君主であり、愛された母の死を深く悼む」と述べた。首相官邸前で声明を発表したトラス首相は、「女王は現代の英国の礎であり、女王の下で我々の国は成長し、繁栄した」と述べた。 新国王の即位に伴い、女王の孫でチャールズ国王の長男、ウィリアム王子(40)が王位継承順位1位の皇太子となる。 国葬は歴代国王の葬儀が行われてきたロンドン中心部のウェストミンスター寺院で行われる見通しだ。 女王は1926年4月、ロンドンで生まれた。父ジョージ6世が52年2月に死去し、25歳で即位した。在位期間は、2015年9月、大英帝国の繁栄を誇ったビクトリア女王(在位1837~1901年)の63年216日を超え、英国君主として最長記録を更新。在位中の首相は、ウィンストン・チャーチル氏からトラス氏まで15人に上った。 「開かれた王室」を目指した女王は、王室費の総額抑制を提案し、バッキンガム宮殿を一般開放するなど、国民に近づく努力を重ねた。96年には、男子優位の王位継承権を男女平等に改める案をまとめ、英政府は2013年、法改正した。1997年にダイアナ元妃が交通事故で死亡した際に沈黙を保ち、「冷淡だ」と批判され、王室不要論が出たこともある。 昨年4月、夫のエディンバラ公フィリップ殿下に先立たれて以降、女王は体力と気力の衰えが目立つようになっていた。今年6月、4日間にわたって行われた即位70年記念行事も一部のみの出席にとどまった。 最後の公務は首相交代に伴う新首相任命で、6日にバルモラル城でトラス氏と面会したばかりだった。 日本には75年、昭和天皇の訪英(71年)への答礼として夫妻で公式訪問したことがある。上皇さまは皇太子だった53年に女王の 戴冠式に参列されている。 【ロンドン=池田慶太】 (引用終わり) エリザベス女王、若き日の決意「死ぬまで奉仕」 70年の威厳(9日、毎日新聞) 70年という英国史上最長の在位期間を誇ったエリザベス女王は、国民に最も信頼され慕われた国王だった。だがその信頼感、尊敬心を得るには、いくつもの英王室の危機を乗り越えなければならなかった。 最初の危機は、伯父で独身の国王、エドワード8世が、2度の離婚歴のあるシンプソン夫人と結婚しようとして、首相、カンタベリー大主教らの大反対にあい、1936年に退位したときだ。弟君がジョージ6世として即位したとき、長女エリザベス王女が次の国王になることが確定した。エドワード8世の“王冠をかけた恋”によって英王室の権威はいたく傷ついた。エリザベスが、死ぬまで女王として働く決意をしたのは、この退位事件からである。 第二の危機は、52年、妹君マーガレット王女が離婚歴のあるタウンゼント大佐と恋におち、女王に結婚を相談したときである。愛する妹の幸せを願いながらも、女王は英国国教会の首長として王位継承権のある王女と離婚経験者との結婚を許してはならないとの立場に立った。王女に結婚をあきらめさせたことで危機は去った。 第三の危機は、97年、ダイアナ元皇太子妃がパリで交通事故死したときである。孫のウィリアム王子らとスコットランドにいたが、孫を守ることこそ祖母の第一の義務としてロンドンに帰らなかった。世論は、なぜロンドンに帰還しないのか、と激高、女王の権威は地に落ちたといわれた。 国民の怒りを知った女王は、その後王室の威信回復のため、王室費の削減を決め、パブを突然訪問するなど国民と近づく必死の努力をした。これが実を結び、一時戦後最低となった王室支持率は急上昇、女王の権威は復活した。 女王は通常、議会の開会式、叙勲式など儀式を執り行い、チャリティーのパトロンとして福祉の資金集めにも参加する。こうした行事をいやな顔ひとつせずに年間600件もこなしてきた。だから“王室のプロ”と称されたのだ。 さらに外国への公式訪問も多い。90年、アイスランド訪問で蒸気の出る穴を見学した際、風向きが変わって蒸気が女王一行に襲いかかった。逃げ出したお付きのものもいたが、女王は動かず、蒸気が去った後に乗っていた板からゆっくり下りた。女王の落ち着きはらった振る舞いに観衆から拍手が起こった。「ドント・パニック(うろたえるな)」。上に立つものが、慌てふためいてはならぬ、との英国教育の教えを体現していた。女王の威厳である。 女王は死ぬまで国民に奉仕する、との若いときの決意を見事実現した。いくつもの危機を乗り越えた女王は、国民に愛されつつ永遠(とわ)の旅に出たのである。 【黒岩徹・元欧州総局長】 (引用終わり) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Nov 23, 2022 09:16:45 AM
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