カテゴリ:鰯の頭
鰯ヘッドも食わにゃいかんが、実は『食う』という行為は実に俗な行為である。俗っぽい以外の何物でもなく、神聖でもなければ敬虔なるふるまいでもなくて飽くまで俗だ。
しかし多くの鰯ヘッドは俗っぽくなることを嫌う傾向にある。苦心惨憺し、なんとか俗の対極にある神性(または神秘性)を手に入れんと鰯ヘッド関係各位が尽力する姿は痛々しくさえあるが、たいていの場合は俗性のほうが強く出てしまって中途ハンパな結果となるのが常だったりする。 例えば俗性顕著旺盛なのは誰がなんと言おうと性欲であると思うのだが、鰯ヘッド関係各位、あえて理由は探らないが何故だか性欲旺盛な方々が多いのである。で、俗の王道であるところの『歩く生殖器』との異名をいただきかねないほどの者が鰯ヘッドの上位者だったりすると、それこそ信者の女性は皆おかずになってしまうわけで、食うは姦るはじゃ俗の王様以外の何物でもなかったりする。 かかるに鰯ヘッドが多大なる俗性を帯びてしまえば信者からは見限られ、ただのスケベおやじのレッテルを貼られでもしたら新規勧誘も儘ならず、都合、鰯ヘッドの管理運営で食っていけなくなるので、そりゃあもう誰が考えたって本末転倒。いくら大脳皮質の活性化が低い歩く生殖器であってもそれくらいの計算や予想は出来るからなんとかして斯様な窮地と陥らぬよう無い知恵を絞った結果、セックス=神聖なる儀式もしくはスピリチュアルなヒーリングであると定義することで低脳な信者各位の了解と了承を得ることに。 これで姦淫問題はクリアである。いくら姦っても大丈夫だ。訴えられたりはしない。如何にアクロバティックな体位を駆使しようと、アダルティな道具立てで行こうと全ては宗教行為なのだから誰にとやかく言わせるかよ。バカヤロー。ガッデム。サノバビッチ。お節介ヤローが。余計なお世話なんだよ。ベー。ってなもんである。 こんな稚拙な手口で姦淫問題はクリアできても食そのものの卑俗性は簡単に払拭できず、かかるに鰯ヘッドは公衆の面前で食事を摂るのを控えるしかなくなる。しかし飽くまで控えるだけであって食の煩悩を滅却したわけでは決してないので衆目がないところなんかではその反動の虜となり下がり、高カロリー高脂肪高コレステロールの食事が多くなりがちである。 多くなるから当然太る。 デブになる。 テレビやニュースや記事を見てみよ。 江原も大作も数子も古くは無道やショーコーも皆デブである。 結論。 デブの宗教家やスビリチュアリストの神性を真に受けてはいけない。デブは飽くまで俗の王道を行く者の然るべき容姿なのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.06.20 10:12:24
コメント(0) | コメントを書く
[鰯の頭] カテゴリの最新記事
|
|