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職の精神史

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2008.04.26
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※この文章は、2003~2006年に大学生・若手社会人向けに配信されたメルマガ『内定への一言』のバックナンバーです。


229.「バックミラーばかり見て運転したら、事故に遭いますよ」(ラジャ・ダト・ノンチック)


今日は西南で、「憧れの海外勤務に行くまでと行ってから」というタイトルでミニ講演会があり、1時間ほど、お話をさせてもらいました。司会のHさん、企画のKさん、素敵なお時間を、どうもありがとうございました。二人ともすごく息が合っていて、はまり役だと感じました。準備も本当にお疲れ様でした。金曜日も、どうぞよろしくお願いします。

さて、今日の講演の舞台はマレーシアでした。20歳でこの国に赴任し、得がたい経験を得たことが、その後の人生でどれだけ役に立ったか。それを思うと、今でも感謝せずにはいられません。感動のあまり、今まで何十人の人にマレーシア旅行を勧めたか、数え切れないほどです。 ただし、食事がうまいとか、リゾートがきれいだとか、ダイビングが面白いとか、そういう話題で旅行を勧めたことは、一度もありません。そういうのは、ガイドブックやらを見れば、書いてあります。旅というものが、行く人の持つテーマによって姿を変える「テーマパーク」なら、マレーシアに限らずどの国も、最も素晴らしい姿を見せてくれるテーマは、やはり「歴史」でしょう。

僕が数ある外国の中でも、絶対にマレーシアに行きたいと思ったのは、ある政治家の詩がきっかけでした。その方は、中学時代を宮崎で過ごし、福岡高校を卒業し、日本語で京都大学に合格して卒業し、その後は中国大陸やマレー半島を縦横無尽に駆け巡って共産ゲリラを掃討し、帰国後はマレーシア独立に尽力、のち下院議長として活躍した、ラジャ・ダト・ノンチック氏です。

89年、死期を意識し始めたノンチックさんが詠んだ詩とは…
(「日本人よ ありがとう」土生良樹・日本教育新聞社より)

かつて 日本人は 清らかで美しかった
かつて 日本人は 親切でこころ豊かだった
アジアの国の誰にでも 自分のことのように
一生懸命つくしてくれた

何千万人もの 人のなかには
少しは 変な人もいたし
おこりんぼや わがままな人もいた
自分の考えを おしつけて
いばってばかりいる人だって
いなかったわけじゃない

でも その頃の日本人は
そんな少しの いやなことや 不愉快さを越えて
おおらかで まじめで 希望に満ちて明るかった

戦後の日本人は 自分たち日本人のことを
悪者だと思い込まされた
学校でも ジャーナリズムも
そうだとしか教えなかったから 

まじめに 自分たちの父祖や先輩は
悪いことばかりした残酷無情な
ひどい人たちだったと 思っているようだ

だから アジアの国に行ったら
ひたすら ペコペコあやまって

私たちはそんなことはいたしませんと
言えばよいと思っている

そのくせ 経済力がついてきて
技術が向上してくると
自分の国や自分までが
えらいと思うようになってきて
うわべや 口先では
済まなかった悪かったと言いながら
ひとりよがりの 自分本位の えらそうな態度をする
そんな 今の日本人が 心配だ

本当に どうなっちまったんだろう
日本人は そんなはずじゃなかったのに
本当の日本人を知っているわたしたちは
今は いつも 歯がゆくて くやしい思いがする

自分のことや 自分の会社の利益ばかり考えて
こせこせと 身勝手な行動ばかりしている
ヒョロヒョロの日本人は
これが本当の日本人なのだろうか

自分たちだけで 集まっては
自分たちだけの 楽しみや ぜいたくに
ふけりながら
自分がお世話になって住んでいる
自分の会社が仕事をしている
その国と 国民のことを
さげすんだ眼でみたり バカにしたりする

こんな ひとたちと
本当に仲よくしてゆけるだろうか
どうして どうして日本人は
こんなになってしまったんだ

という詩です。

1941年12月、日本軍は真珠湾のアメリカ軍艦隊を攻撃すると同時にマレーシアに上陸し、さらにマレー沖のイギリス東洋艦隊に攻撃を開始しました。特に、イギリスが誇る世界最新鋭の戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」の2隻を航空爆撃で撃沈させたことは、チャーチルのもとに衝撃的な知らせとして伝わりました。「戦争の全期間を通じて、私はそれ以上の打撃を受けたことはなかった。いかに多くの(植民地化のための)努力と希望と計画が、この2隻の軍艦とともに沈んでしまったか。ベッドの中で寝返りを打ち、身もだえする私の心に、このニュースの持つ恐ろしさがしみこんできた」。チャーチルの「第二次大戦回顧録」には、そう記されています。

150年以上にわたるイギリスの植民地支配に苦しめられていたマレー人は、コタバル(半島北部)に上陸し、半島を南下・進撃する日本軍を心から歓迎し、食糧を提供し、ジャングルの地理案内をし、軍需物資の運搬まで手伝ってくれたそうです。

僕も、赴任後2ヶ月くらいして、この戦史に残るクランタン州の州都・コタバルに行きました。

「ニッポンジ~ン!ベリーベリーグレート!」
「サンクス、サムライスピリット!」
「ジュプン、ノンボルサトゥ ディアジア!(日本はアジアNo.1だ!)」

…聞きしに勝る歓迎ぶりに、最初は当惑し、それから感動し、日本人であることに心から誇りを感じました。

当時16歳だったノンチック元上院議員は、書中で1941年当時を、こう回想しています。 「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声を上げました。敗れて逃げてゆくイギリス軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。日本軍は、永い間アジア各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い、とても白人には勝てないとあきらめていたアジアの民族に、驚異の感動と自信を与えてくれました」。

現地の人々の支援もあり、山下奉文将軍が率いる日本陸軍は、60日間の激戦の末、アジア最大の要塞、シンガポールを攻略します。この戦闘の過程は、「指揮官」(児島襄・文春文庫)に詳しく解説されています。

1942年2月15日、ついにイギリス軍は降伏し、150年に及んだイギリスのマレー支配は終わりました。ド・ゴール将軍(フランス)は、この日の日記に「シンガポールの陥落は、白人植民地主義の長い歴史の終焉を意味する」と記しています。のち、わが日本は拡大に次ぐ拡大に補給が追いつかず、いくつも悲劇的な戦闘を繰り広げ、遂に敗戦を迎えてしまうわけですが、刀折れ、弾も尽きた日本人を助けたのは、マレーやインドネシアの人たちでした。

戦後、どれだけソ連や中国が「日本は悪者だ」と言っても、マレーシアやインドネシアは、国力は非力ながら、一貫して日本を弁護し続けました。日本人の中にすら、中ソの宣伝に協力し、「日本は悪い国でないと気がすまない」という人が出てきたのに、マレーシアは頑なに、日本を応援し続けました。僕は、戦争の政治的解釈を論じようとしているわけではありません。ただ、東南アジアの人たちが、日本人の苦境を見て、なんとか応援しようと頑張っていた、という事実について書いているだけです。

英語しか話せない人には、おそらく出会うべくもない事実でしょうが、マレー語を覚えた僕は、日本のジャーナリズムでは知りようもないことに、いくつか触れることができました。それはもう、人生を変えるほどの衝撃でした。

しかしノンチックさんは、僕が赴任する2年前の1994年に、亡くなられていました。彼を記念して、生地ジョホールバルの一角には、「タマン・ノンチック(ノンチックの丘)」という地名が授けられました。シンガポールからマレーシアに徒歩で行ったことがある方は、入管をくぐり抜けて最初に到着する、あの雑然とした、熱帯の臭気と雑音が混在する町を、覚えていますか?そのすぐ近くが、「タマン・ノンチック」です。ガイドブックには、一行も出ていませんが。

ノンチックさんは、戦争の研究でマレーシアを訪れた、ある日本人教師が「日本軍はマレー人を虐殺したに違いない。その事実を調べに来たのだ」と言ったのに対し…「日本軍は、マレー人を一人も殺していません」と答えています(上掲書)。

しかし、来る日本人のほとんどが、マレーシアの文化や歴史などには興味も持たず、ストレス解消の遊びと自己満足の時間消費を楽しみ、マレー人を軽蔑するようになった様子に、「一体、日本の教育はどうなっているのか」と案じ、先に紹介した詩を書いたそうです。

そのノンチックさんが生前、人生をかけて信じてきた日本人に対するメッセージとして語った言葉が…「今の日本人はみんな、過去ばかり気にし、ヒョコヒョコと臆病な生き方をしていて、スケールが小さくなった。一体誰が、車を運転する時に、バックミラーを見ながら運転するというのです。自動車は、前を見て運転するもの。バックミラーばかり見て運転したら、事故に遭いますよ」というものでした。

今の日本人が、どうであるかは分かりません。別にマレーシアなど、日本人にとってはシンガポールかバリ島と勘違いされたままで、「タイとどっちがどっちか分からない」でもいいのかもしれません。貿易額から見ても、歴史的つながりから見ても、経済成長率から見ても、「軽視しておいてよい」という国なのかもしれません。しかし、そんな弱小国・マレーシアを軽視しなかった昔の日本人に憧れて、マレー独立に命を捧げ、国家再建の偉業に参加したマレーシアの英雄が、世界から軽視されつつあった日本を信じ、応援していたという事実に触れ、僕は心から申し訳なく思い、感謝しました。

以来21歳からは、「やりたいこと」が、頭の中から消え去ってしまいました。どうにも、そのような自己中心的な動機で生きるのは、目先のことでウロウロしてしまいそうで、そんな人生は嫌だと思ったからです。代わりに心を占めるようになったのは、「せずにはいられないこと」でした。好奇心から使命感へと、人生のモチベーションが入れ替わった時期こそ、海外勤務の1年間でした。

読者の皆さんも、バックミラーばかり見る人生はやめて、一度、海外で働いてみませんか?人生を変えるものすごい感動が、きっと待っていますよ。もし、新卒で海外に行きたいという方がいたら、ぜひ教えて下さいね。







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Last updated  2008.05.09 00:14:43
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