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カテゴリ:健康
今月17日から米国製薬会社ファイザーが開発した新型コロナウイルス感染症(新型肺炎)ワクチンの接種が始まる日本で、政府の準備不足で接種可能人数が大幅に減る状況が発生した。 10日、NHKなど日本メディアによると、厚生労働省は当初ファイザーと「ワクチン1容器あたり6回接種」を基本として計算し、計7200万人分(1億4400万回分)を契約した。だが、厚生省が確保した注射器では一つの容器につき5回分しか採取できないことが一歩遅れて明らかになった。注射器を間違って用意したことでファイザーワクチンの接種を受けることができる人員が20%近く減ることになった。
遅すぎる少なすぎるというのは、有事への日本の行政全般の対応(軍事を含む)の仕方であるが、今回のコロナワクチン事案でもこの伝統はいかんなく発揮されている。 欧米に比べ、人民へのワクチン接種が、その是非は置いておくとしても、たち遅れているのも利権でしか動かないという特異な日本の行政の本質を随所に見ることが出来る。 しかし、「ワクチン1容器あたり6回接種」を基本とした日本側が準備した注射器の容量が違うため、実に20%の貴重なワクチンをドブに捨てる結果となったのは、「遅すぎる少なすぎる」以前の問題であり、このような学力不足の人間に医療行政を任せておいていいのかとさえ心配になるほどである。 本日の注目記事 中央日報 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021年02月14日 09時29分26秒
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