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カテゴリ:読書案内(?)
1月ほど『積読』していたダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』(全3巻・角川文庫)を読んだ。今日から丁度1月後の5月20日に映画が封切りになるそうなので、ネタバレその他には十分留意しようと思いますが、人によっては『本文以外では知りえない情報はすべてネタバレ』としたりするらしいので、厳密にはネタバレをしないであれこれ話をすると言うのは無理なんでしょうね。まぁ、それでもできるだけ頑張ります<何をだ? ツーか、あらすじについてはここから引用しちゃいましょう<おひ! ****以下引用です**** 閉館後のルーブル美術館。ダ・ヴィンチ素描〈ウィトルウィウス的人体図〉を模して横たわる、ジャック・ソニエール館長の死体が発見された。死体の周りに残された、不可解な暗号。その中には、ハーヴァード大学教授ロバート・ラングドン(トム・ハンクス)の名前があった。 ****以上引用でした**** これでおしまいというといかにもな感じなので、もう少し原作の方を見てみましょう。映画と原作が一致することはまずありえないので、どこまで同じかについては保証の限りではありませんが。ツーか、あっしが保証しても意味ありませんね(^^ゞ で、本の方には巻頭に何枚かの写真が掲載されています。上記の〈ウィトルウィウス的人体図〉も上巻の最初に載っています。映画の予告編でもこの姿が見られます。まぁ、生身の人間が演じていますので映画の方ではちょいと画像をいじってあるようですが(爆) とにかく、ダ・ヴィンチの描いた絵だとか、関係する街の地図、登場する場所の写真なども載っています。これらは本文で出てくるからここに掲載されているんでしょうね?<当たり前だ! あっしはこれらをよぉ~~~く見てから本文を読んだり、読んでいる最中に巻頭の写真などを見たりしました。言い忘れましたが『ダ・ヴィンチ・コード』はミステリーです。ですからどういう叙述をしているかもネタバレになりかねません。でも、お話に関る前提として書かれているものに注意を喚起するくらいはいいんではないかと…<いいのか? 上巻の最初に『事実』という記述があります。大事なのでチョイと引用しましょう。 ****以下引用です**** シオン修道会は、1099年に設立されたヨーロッパの秘密結社であり、実在する組織である。 ****以上引用でした**** この引用の最後の一文は中巻、下巻の巻頭にも書かれていて、あたかもフィクションでないかのように感じさせています。実際、小説なんだからフィクションに間違いなく、通常のフィクションなら『実在の~とは関係ありません』って書くのを敢えて『事実に基づいている』と書くことでそこにリアルさを現出させているのかもしれません。というのも、上の映画のあらすじにもあるようにルーブルの館長が不可解な死に様をしているわけなんですが、なぜそんなことになったのか、なぜそんなことをしなくてはならなかったのか、という部分が『真実の裏側』を覗くものだからなんですよね。その『真実の裏側』がありえるわけないだろうって読者が感じたらダメで、いかに読者をのめり込ませるかのギミックかもしれません。ツーことで、もう一度あらすじを書いちゃいましょう<え? ルーブル美術館の館長・ジャック・ソニエールはある夜、ルーブルの中で襲われ、グランド・ギャラリーの中に逃げ込んだ。ソニエールは他の三人の参事とともに重大な秘密を隠していたが、襲撃者は既に他の三人を襲い、秘密を聞き出し、殺していた。が、それは万が一に備えての嘘の情報であり、本当の情報はまだ洩れていない。襲撃者はそれを知らないのでソニエールを撃った。腹を撃たれ、15分ほど苦しみ続けながら死ぬことになるであろうソニエールは選ばれたものにだけわかる方法で秘密を伝えねばならなかった。ソニエールは限られた時間の中でまさに死力を尽くし、息絶えた。その死体は全裸で〈ウィトルウィウス的人体図〉を模していた。宗教象徴学者のロバート・ラングドンは真夜中にたたき起こされた。その日の夜面会の約束をしてすっぽかされた相手、ソニエールが死んだから参考人としてきて欲しいと警察にルーブルにつれてこられた。ラングドンがベス・ファーシュ警部の尋問を受けているとき、暗号解読官のソフィー・ヌヴーが現れた。ファーシュはラングドンが怪しいとふんで追い詰めるために呼び出したのだが、ソフィーはラングドンに助けが欲しいから、ラングドンをファーシュの『檻』の中から脱出させる。なぜか?実はソフィーは殺されたソニエールの孫娘で、ソニエールが遺したメッセージ…『P.S.ロバート・ラングドンを探せ』…は自分宛てであるという。ソフィーはラングドンとソニエールの遺した秘密を追うことになるが、ファーシュはダイイング・メッセージゆえにラングドンを追う。一方、襲撃者は『導師』と名乗るものからの的確な情報をもとに秘密に迫ろうとしている。はたしてこの『導師』とは… という感じですかね?上にあげた引用にもあるようにキリスト教に深く関る秘密なんですが、あっしの場合はケッコウ柔軟というか、トンデモ関係でも別に目くじらを立てることはありませんが、今回の説はその中でも面白いものだったと言えるかもしれません。作中人物があれこれ語っていますが、コンスタンティヌス帝が開催したニケーア公会議でイエスが神の子であると提案され、投票で決まったとか、イエスの人間らしい側面を描いた福音書を削除させ、神として記した福音書を潤色させ、以前の福音書は禁書として集めて焼却したとか、キリスト教はイエスが死んでから3世紀あまり経った後に、人の手によって都合のよいように改竄されたものだってことです。まぁ、こういう内容が延々と書かれているんで、カンタベリー大主教が『陰謀だ!』と言うのも頷けます。どちらかといえば、『あれはフィクションだろう?』と受け流す方がより効果的だったような気もしますが(^^ゞ そもそも歴史的事実は時の権力者によって都合よく捏造され、時に隠蔽されてしまうものですから、何が事実か不明です。真実と呼ばれるものはその人がそうだと信じ込んでいるものに過ぎず、百人いれば百通りの真実があるでしょう。そのどれが正しくてどれが誤りであるかではなく、そのどれもが真実であり、ただ他人からは真実に見えていないだけです。これらのうちで最も歴史的事実との齟齬が少なく、整合性の高いものが真相という地位を勝ち取るのでしょうね。より多くの同意を得られたものが真実であるかのように言われることもありますが、事実は多数決で決まるものではない。事実とは客観的に起こった出来事であり、真実とは人が主観的に感じ取っているだけですからレベルが違いすぎます。何せ真実は事実を客観的に見なくても構築できちゃいますからね。同じ事実でも見る角度によって全く違うものにも見えますし。人は自分の見たいものを見、信じたいものを信じますから、『あの人はそういうものなのか』って思えばよいだけで、目くじらを立てて『それは間違っている』とわめき立てない方が己の信じるものを守る早道のような気もします。なんてことをふと思ったりしました<はぁ? まぁ、読みやすい本だったんで、興味のある人はどうぞ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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