【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

フリーページ

お気に入りブログ

アトランタの風に吹… まみむ♪さん

コメント新着

 NOB1960@ Re[1]:無理矢理持ち上げた結果が…(^^ゞ(10/11) Dr. Sさんへ どもども(^^ゞ パフォーマン…

カテゴリ

2006年05月15日
XML
「春の予感(その1)」

およそ三年ほどの間に才、雁、戴、範の四国が斃れ、ほとんど入れ違いになるかのように四つの卵果が捨身木に生り、女怪の手でもがれ、四国の麒麟が次々と孵り、蓬廬宮で育てられていた。もともと牡の麒よりも牝の麟の方が生育が速く、四人の麒麟の内、唯一の牡である延麒は他の三人と比べると生育はのんびりとしており、逆に最後に孵った氾麟は競い合う相手が目の前にいるせいか、二年ほど早く生まれた延麒と肩を並べんばかりの勢いであった。そして慶の暦で言うならば赤楽二百六年が終わりを告げようとする頃、采麟が成獣になり、才の里祠に麒麟旗が揚った。その頃の才は両隣である奏と範との関係改善が捗々しくなく、奏の復興によって減っていた奏側の高岫付近の妖魔もいつの間にか増えてきており、範の荒民が永湊に上陸して高岫の奉賀を越えて奏に向かうのが困難になっていた。高岫付近にたどり着く前に才の民たちに冷遇され、野宿を強いられ、時には匪賊に襲われ、力尽きるものも多かったので、漣の船は永湊ではなく、奏の没庫まで範の荒民を運ぶようになっていた。力尽きた範の荒民の骸が妖魔を呼び寄せたのかもしれない。範側の高岫も依然として妖魔が跋扈し、陸路で越えることは困難であった。その分白海沿岸、赤海沿岸は比較的妖魔の数が少なかった。そこで春分に開く令乾門に向かうものたちは船で白海を渡ることにした。その中に仮朝の長である呀孟の姿もあった。その傍らに侍るのは呀孟の側近であり、冢宰府侍郎の無病であった。

「冢宰、このまま令乾門に向かっていいものなのでしょうか?」
「ん?無病、何か懸念することがあるのか?」
「夏至には才にある令坤門が開きます。その時に昇山なさってもよろしかったのでは?」
「ああ、私が台輔の眼鏡に適わなかった時のことを心配しているのか?」
「はい。令乾門から入れば出るのは令坤門です。今回の中に王がいなければ、令坤門から昇山するものの士気を奪います。令坤門の前には昇山しないものも含めて多くのものが待ち受けているでしょうし…」
「そこに私が失意した風貌で出てくるのは拙いというのか?それは確かに拙いだろうな。今後も仮朝の長であるには」
「…どういう意味です?」
「つくづく感じたのだ。私は仮朝の長として愚昧だったとな。官の掌握もできず、無策で多くの民を失ってしまった。範が斃れた折に多くの荒民となった民が才に戻れずに逝ってしまった。その責めを負うのは私だろう。なのに…」
「それを言うならば私も同罪、いえ、私の方が罪が重いでしょう。私が冢宰の手足として働いていればこのようなことには…」
「言うまい。無病とて好きでそうしたわけではなかろう?何処かでおかしくなっていたのだ。責めを負うのは一人でよい。私は蓬山から戻ったら、無病、お前にすべてを移譲するつもりだ。まぁ、無事に戻れたら、だな。黄海に斃れるかもしれぬからな」
「冢宰、気弱なことを仰らないで下さい。それに私如きに後任が務まるわけがありません」
「大丈夫だ。私にも務まったのだ。無病にだって十分務まるだろう。それに私は台輔にダメの烙印を押してもらうしな」
「ダメというなら私もそうなるのではないですか?」
「…私は前々王の時代から長閑宮に務めている。そろそろ休ませてくれても良いだろう?無病は任官してどれくらいになる?」
「私はまだ二十年ほどですが」
「二十年で、侍郎にまで駆け上がってきたのだろう?実質的には王の斃れるまでの十数年でだからな。能吏だな」
「若さゆえにあれこれありましたし、いまだに周りの官との繋がりが捗々しくありません。これでは混乱するばかりです」
「…もともと才は官吏に恵まれていなかったからな。無病、華胥の話は知っているか?」
「三代前の采王のことですか?華胥華朶に誑かされて道を失ったとか言う?」
「三代前の采王はその前の王が末節を汚し、政務を放擲したことに反発して党徒を組んで王を糾弾し、高斗を名乗って王の斃れた後の荒廃と闘い、里祠に麒麟旗が揚るとすぐに昇山して台輔の選定を受けた。治世が二十年余りになった頃、時の冢宰の策謀で長閑宮は混乱に陥った。それが華胥華朶にまつわる話だ。昔黄帝が治世に迷った折に夢で見た華胥氏の国、理想の国を夢で見せてくれるという華胥華朶を使って、王や台輔、重臣らを誑かし、台輔は失道し、王は禅譲をした。その時に遺された遺言が『責難は成事にあらず』だ」
「人を責め、非難することは、何かを成すことではない、ですか?」
「そうだ。他人を非難することは誰にでも出来るが、非難するだけで正しい道を示せなければ何にもならない。これは三代前の王の叔母で次の王となった黄姑の言葉だと伝えられている。我々は責難しかしていなかった」
「…冢宰」
「奏の民を責め、範の民を責め、前の王を責め… では、一体何が悪く、何をすれば正しいというのか?何も語っていない。民を責難に終始させ、それによって民が塗炭の苦しみに喘いでいた、その間に何をしていた?何もしていない。ただ漫然と時を過ごしていただけだ。何れ麒麟旗が揚り、王が選定されればすべてが上手く行くと思っているだけで、今何をすべきかを考えようともしていなかった。それが今日の才の姿だ」
「しかし、実際に奏の民や範の民と諍いが…」
「その諍いの大本は一体何だったのだ?奏が斃れた時になぜ奏の荒民と才の民との間で諍いが起こったのだ?ああ、その時にはまだ無病は生まれていなかったな」
「あ、はい。まだ生まれていません。しかし、私は永湊の近くの生まれですからイロイロと聞いていますが」
「奏の民が如何に酷い連中かと言うことだろう?」
「ええ、そうですが」
「それが責難だというのだ。雁や巧は多くの荒民を受け入れてもビクともしていない。才とどこが違うと思う?」
「荒民との接し方ですか?」
「そうだ。巧は奏との関係で二度ほど王が斃れているが、それでも奏との関係は良好だ」
「それは宗王が巧の官だったからではないですか?」
「そもそも奏の民を官として受け入れるだけのものがあったからではないか?宗王の妹は今も巧の官であるし、甥や姪は巧で学んでいると聞く。これは宗王が践祚する前かららしい。この辺りに度量の違いが見えないか?」
「それはそうですが…」
「今の高王が雁や慶で官をしていて、諸国のことに通暁しているということもあろう」
「何でも遣士の制度を作ったのが高王だったとか」
「らしいな。だから、慶の官でありながら巧のためにも働く。巧の官であった宗王のためにも働く。では才のためには?」
「…琉毅さんはよくやってくれていると思います」
「が、どうだろう。彼の働きは私のところまで上がってきていない。何処かで消えてしまっている」
「ええ、私のところまでも聞こえてこないことも多かったようです」
「では一体何をしていたのだ?王とは意思の疎通ができていたようだが、我々とは疎遠もいいところだ」
「…官の嫉視もあったのでしょうね。それに親しかった王がああなっては…」
「それもあるだろう。王が誤っていないのに見捨てたのは我らだと思っているだろうと、官は見做した。強ち間違いでもない。我らとて王が誤ったとは思ってはおらぬが、如何せん民の気持ちとの乖離が大きかった。ならば天からも見放された。台輔が失道し、王は身罷った。無論我らとて責めを免れるわけではないが、仮朝を維持しなければならぬ。その辺りがな、どうも折り合いがつかなかったのやもしれぬ。あるいは我らが遣士の目を恐れていただけかも知れぬ」
「我らに非があると暴かれるのを懼れたと?」
「非があるのはわかっている。だからこそ、その非を詰られているように勝手に思い込んだのかも知れない。詮無いことだ。ゆえに遠ざけた。忠告すらも耳に入れぬようにした。それが長閑宮の実態なのかな」
「…冢宰」
「私はそういうものたちの長だった。見るべきものを見ず、聞くべきことを聞かず、なすべきことをなさなかった。すべて奏の民が悪い、その奏の民を庇う王が悪い、と詰っているばかりでことを正そうともしなかった。その責めがある」
「しかし、実際に諍いは…」
「…王は諍いを納めるべく動いていた。非がある方を裁いた。それが才の民だっただけのこと。王は才を蔑ろなどしていない。それは私がよく知っている。が、それを喧伝することはできなかった。結果として乱を招いたのだから、と言い訳をして」
「では、どうすればよかったのですか?」
「無病、それがわかっていたらこのような繰言など言うまいよ。わからぬほど愚昧だから繰言を言う。情けないな」
「冢宰、そんなことは…」
「時折考えることがある。王が斃れた後すぐに宗王が践祚した。宗王は昇山していない。宗台輔は才が斃れたから蓬山を降り、宗王に会うことができたといわれている。つまり、宗王が践祚するために才は斃れたのか、とね」
「冢宰、それは…」
「戯言だ。聞き流して欲しい。が、なぜあれほどまでに才の民は奏の民を憎むのか… 憎んでも詮無いことなのにな。憎悪を晴らすことで却って己が不幸になることの実例のようではないか。しかも、結果として相手に尽くしてしまっている。これほど報われぬこともない。ならばいっそ憎むのをやめるしかない。なのに…」
「いまだに奏の民を憎んでいますね。それに加えて範の民も」
「範には悪いことをしてしまったと思う。遣士の言が届いていればこれほどのことにはならなかっただろう。範のことを過信し、酷いことなど起こらぬと楽観しすぎた報いかも知れぬ。この責めも私が負わねばならないな」
「しかし、冢宰は実態についてはご存知ではなく…」
「最初のうちはな。その後実態がわかってからも他の官たちを引っ張ることもできなんだ。結局は民を見殺しにし、そのせいで範は荒廃してしまった。被害者はむしろ範の民だろう。なのに、才の民は範の民のことを憎み続ける。己の非を認めるよりも他人の非を論う方が楽だし、後ろめたさを覆い隠してもくれる。ああ、これも責難か」
「とはいえ、己が悪かったと言われて納得するものでもありません。何かを憎むことで気持ちを発散させることも…」
「内憂を外患で紛らわそうというのか?まぁ、民にはそういうことも必要だろうが、官はそれでは拙いだろう」
「民がそれを望むなら官もそれを与えるべきではないのですか?」
「愚昧なことを申すな。民が望むものを与えた結果がこれだぞ。民が望まなくてもなすべきことはなさねばならない。それができるものでなければ王にはなれぬ」
「では、前の王は王に相応しくなかったと?」
「いや、前の王は王としての務めを果たした。それゆえに民に離反された。民を離反させぬのが我らの務めであったのにな。無力だったな」
「…冢宰」

自嘲するような冢宰の顔を西日が舐めていく。眩しさに目を細めながら陽の沈む方を呀孟は眺めやった。範の国都・紫陽のある方角だ。呀孟は手を合わせ、静かに頭を下げる。無病も慌ててそれに倣う。

「一日も早く王に立って貰い、範の立て直しに助力してもらいたいものだな」
「…はい」

呀孟の言葉に無病は素直に頷けないものがあった。奏の民との諍いで家族を失ったものはみなそうであろう。無病もそんな一人である。範に逃れて帰ってこれなかった知り合いも少なくない。頭では虚しいこととわかりながらも、心では憎しみが捨てきれない。無病もまた、そういう心の闇を持った一人だったのだ。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2006年05月15日 12時59分12秒
コメント(1) | コメントを書く
[想像の小箱(「十二」?)] カテゴリの最新記事


PR


© Rakuten Group, Inc.