警察署の講演、日本の社会に思うこと
この前、あまりにも勧められたので最寄りの警察署の講演を観に行きました。内容はとてもわかりやすく、今管内で起きている事故や犯罪、その件数などを知らせてくれました。そして、未遂も含めて多いのは特殊詐欺とのことで、警察官の方の寸劇まであって40分の講演としてはかなりの高いクオリティでした。ただ期待を上回る新しい情報があったかというと、それほどのものではありませんでした。2019年の管内の詐欺の件数は16件で3,400万円の被害があるそうです。これはまだ判明した分だけだそうで、報告のない実際の件数は数倍あるとのこと。また、殺傷事件はまだ起こっておらず都内では優秀であるとのこと。あとは自転車のマナーについての話でした。これらの内容、テレビなどのマスコミで取り沙汰している事件や問題とは、随分と温度差を感じるのは事実です。詐欺をはたらいている人物がどんな人間で克明な実態というのはなかなかわかりません。そして、言われるのはもっぱら「合わないようにするにはどうすればいいのか」ということ。ここでのその答は家の電話は留守電にして出ないのがいいそうです。では、家の電話は何のためにあるのか?今や頻度の少ないFaxを送受信するためでしょうか。もしそうであれば、家の電話の不要論をマスコミは取り上げるべきではないでしょうか。少し前に自転車の運転についての罰則が報じられることがありました。また、数年前までは自転車の二人乗りの禁止や歩道を走らず車道を走ることが、よく叫ばれていましたが、もうなくなったのかと思えば、今だに原則二人乗りは禁止、車道を走ることがルールのようです。そう言っても自転車用チャイルドシートは普通に売られているし、都内の幹線道路では自転車が車道を走ることはなく、歩道でビュンビュン歩行者を追い越していきます。一方、横断歩道では自動車より歩行者優先というルールも、なかなか定着し辛いように思います。この曖昧さは日本的というべきなのか、真面目にルールを守った方が損をするような社会が普通にあります。子供たちを巻き込む凄惨な事件があると、「このような事件をなくすためにはどうすればいいでしょうか?」と、まず被害を受けた子供の通っている学校や近親の人が、あたかも責任はないのかというようなインタビューがされますが、まずは加害者の責任を問うだけでいいし、それが道理でしょう。では、なぜそのような事件が起こるかと言えば、真面目に誠実な行いが不誠実な何かによって認められなかった時に、人は落胆、あるいは絶望し真面目であっても損をするという学習をし、自分の受けたことを他にしてしまう可能性があるのです。人は受けた学習の中から人をまた教育する習性があります。ですから、皆が自分の生きている社会が誠実で良いと思うようにならなくては、いじめも自殺も犯罪もなくならないように思うのです。個別に全てがいい社会、それは政治やマスコミが牽引できるかどうかです。無責任で不誠実な社会はテレビやニュースでもよく見かけます。例えば「子供のために」というキーワードがあれば、何でも美談をつくれて宣伝効果が上がると考えているようです。優勝したアスリートへのインタビューで、「では最後に子供たちに向けてメッセージをください!」偉大なアスリートが子供たちに愛のある言葉を残したとすれば、番組を伝える宣伝にはとてもいいわけですが、アスリートに限らず演奏家がコンクールで優勝する場合でも、自分との闘いはあっても子供のことを考えて励んでいるわけではないと思うのです。ただ聞かれたら、何もないとは言えないから適当なことを言わなければなりません。マスコミがそのように作り上げたいだけにも関わらず、観ている側は「◯◯さんはやっぱりそうか、素敵!」となるわけです。万人の共有できる話題性がスターをつくり視聴率を上げるのです。アスリートは芸能人ではないので、成績は上げても人気で売っているわけではありません。ですから自分に打ち勝つために「次回はもっと頑張りたい」、「楽しんで臨みたいと思います」というのは率直なところだと思います。「ファンあってのあなたなのだから、ファンにひと言!」とは言われたくないでしょう。しかも言われても強い時だけ、誠実な世の中だとは思えないでしょう。