迷路館の殺人
迷路館の殺人綾辻行人氏の「迷路館の殺人」読みました。この小説も本格推理ものの雰囲気たっぷり、読者を楽しませようとする趣向あり、あっと驚くトリックありで、たいへん面白く読めました。この「迷路館の殺人」のメーントリックは、いわゆる「叙述(じょじゅつ)トリック」と呼ばれるものです。推理小説の中には、さまざまなトリックが用いられます。殺人が行われた形跡を残さず自殺や事故に見せかけるトリック。閉鎖された空間で殺人が行われる「密室トリック」。犯行時間に現場にいなかった状況を作り出す「アリバイ・トリック」などなどです。しかしそれらのトリックが、作中の犯人が周囲の警察や探偵の目をくらますトリックであるのに比べて、わざとある事実を隠したり誤認させるような書き方で、作者が読者をあざむくために用いられるのが、この「叙述トリック」なのです。叙述トリックを初めて用いたといわれるのが、かのアガサ・クリスティが書いた「アクロイド殺し」(出版社によっては「アクロイド殺人事件」など)です。この小説のトリックは、当時「フェアか、アンフェアか」で大論争を巻き起こしたと言われ、ヴァン・ダインはこの小説を「アンフェアだ」と酷評したといわれます。しかし、この「アクロイド以後」には、「ひょっとして、そうかもしれない」と読者の目が肥えてきたことや、また作者も何とか読者をあざむこうと努力して手法が多様になったお陰で、現在では「叙述トリック」はすっかり市民権(笑)を得ています。今では折原一(おりはら・いち)氏のような、叙述トリック専門ともいえる作家もいますし、我孫子武丸氏の 「殺戮にいたる病」 は叙述トリックの傑作。東野圭吾氏の 「回廊亭殺人事件」 にも叙述トリックが仕掛けてあるし、たしか逢坂剛氏の作品にもあっと驚く仕掛けの短編がありました。私が 叙述トリック に初めて出会ったのは、横溝正史氏の 「夜歩く」 でした。この作品を読んだ時は、生まれて初めて電線に触れてビリビリと感電したような衝撃を受けました。ですから、人によって崇拝者は違うと思いますが、私にとっての推理小説の神様は、金田一耕助シリーズの横溝正史氏なのです。それよりもっと幼いころ、私の中に推理小説崇拝への萌芽を産んだのは、江戸川乱歩氏のジュブナイル物の小林少年と明智小五郎シリーズ( 「怪人二十面相」 など)ですが、思春期に読んで映画やテレビでも見ハマった横溝氏の作品は別格といえます。さて、前置きが長くなりました。「迷路館の殺人」に話を戻しましょう。この小説のトリックは「叙述トリック」だと申し上げました。それは、この小説に施されている仕掛けの「作中作」に、大いに関係しています。「作中作」とは、「小説の中で書かれる小説」のことで、この綾辻行人著の「迷路館の殺人」の中には、鹿谷門実(ししや・かどみ)なる人物が書いた「迷路館の殺人」という本が、丸々入っているのです!しかし、もし、例えばこの文章を読んで「だまされんぞ!」(笑)と構えて読んだ人は、鹿谷門実著の「迷路館の殺人」事件がひと通りの解決を迎えた時、「なんじゃ、たいしたこと無いじゃないか」と思われるかもしれません。ところがこの小説は、綾辻行人著の「迷路館の殺人」こそが、事件の真の実相を伝えているのであり、そこには大きな大きなトリックが仕掛けられ、最後の最後まで読んだ時に「そうだったのか!」と唸らされることになるのです。さらにです。実はこの作品には、その「鹿谷門実」が「一体、誰なのか」というトリックも仕掛けられています。これには、私は二重の意味で「してやられた」ことになるのです。なぜなら私は作品の時系列で言うと、この「迷路館」の後日談となる「時計館の殺人」を先に読んでいました。その「時計館」の中には、「鹿谷門実」が誰なのか、実は明確に記してあるんです。しかし、しかしなんですよ。私はそれを知っていたからこそ、この「迷路館」の中で巧妙に描かれた「だまし絵」の全貌が見えず、「あれ? この鹿谷門実って、○○○だったよなぁ。なんで、この○○さんは、こんなこと言うんだろう???」と、頭の回りに「?マーク」をいっぱい浮かべながら読み進むことになってしまったのです。これはひとえに偶然で、作者も意図していない「時系列のマジック」だったわけです。綾辻氏の「館」シリーズは、「十角館の殺人」「水車館の殺人」「迷路館の殺人」「人形館の殺人」そして「時計館の殺人」ときて、「黒猫館の殺人」「暗黒館の殺人」「びっくり館の殺人」と、現在8作が刊行されています。(全部で10部作になる予定だそうです)もちろん、この発表順に読んでいけば、事件の時系列がしっかりとタテにつながるわけですから、それが一番イイと思います。ですが!もし、まだ全体を未読の方で、もし、私が偶然得る事のできた「時系列のマジック」を感じてみたい、という奇特な方(笑)は、「時計館」のあとに「迷路館」を読んでみてください。そうすれば、あなたは作者も意図していなかった「迷路の袋小路」に、私同様必ずハマります。そして、途方に暮れた後に開かれた扉の向こうの真相のまぶしさに目が眩み、迷路の出口から外に出ることも忘れて立ちつくすことでしょう。・・・あれ? この日記は、ぜんぜん博多弁使ってなかった・・・(^_^;)