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2005.11.02
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運命、って言葉。

私は信じるも信じないも無かった。

映画だとかドラマ、小説の中では当たり前のように『運命』って使われてて、

でも私にとってはそれは単なる記号のようなもので。

意味を考えたり、ましてや信じるも信じないも無かった。





けれど。





家で、母と二人の生活をまた送れる日が来るなんて。

私は永遠に失ってしまったと思っていた「普通」の生活を

再び手に入れられるなんて、それを思っただけでも嬉しくて仕方なかった。

母が退院したその次の日、目を覚まして台所に降りた私の目に、

朝食を作る母の姿が映る。

あまりにも自然すぎたその光景に、一瞬何の疑問も抱かなかったのだけれども、

はっとして私は言う。

「お母さん、無理しないで、寝てないと」

母はこっちをむいてきょとんとした顔で言う。

「無理って。何も悪い所もないのに」

ああ、そうだ。「病」は母の身体を蝕むどころか、むしろ

母を死の淵から救ってくれたような物だ。

何かしら変な感覚は残るものの、以前と変わらず、いや、以前より元気そうに見える母を

床に縛り付けておくのもおかしな気がして、私は頷くしかなかった。

テーブルにつき、出されたお味噌汁に口を付ける。

久し振りの、味。

その瞬間、母が帰ってきたこと、そして、今までのもの全てが溢れてきて、

目から涙が溢れだしてきた。

「おいしい…」

それだけ言って、泣いた。

母は何も言わなかった。てっきり「また、泣いて」とやれやれといった表情で、

そう口にすると思っていたのに。

ぼやける視界の向こうで見えた母は、少し泣きそうな顔をしているように見えたけれど、

実際はどうだったのか、今になっては分からない。





「いってらっしゃい!」

母の元気な声が背後で聞こえ、私は家を出る。

退院してから、3ヶ月。

街は春の匂いが立ちこめ、新しい季節を迎えた人たちの顔は、

目に見えて明るく感じられる。

私は2ヶ月前から職場に復帰した。

元々、蓄えなんかほとんど無かった。

母が病院から出たのだから、当然働かなくては暮らしてはいけない。

ブランクを考えると、最初は憂鬱だった仕事も、いまでは順調すぎるくらい順調にいった。

何より。杉村という恋人も出来た。

杉村は会社の同僚で私より2つ歳下の男だけれども、

顔立ちは30前という歳のそれに比べて少し上に見えたし、

言動や立ち居振る舞い、そして営業成績は同期から群を抜いて優秀だった。

彼に憧れている女性社員はまぁまぁ居たし、

私も意識しないでも無かったけれども。

恋人になったきっかけは、ブランク空けと母の「病」に対する社内の視線、

それに参りかけていた私を、杉村がことあるごとにフォローしてくれたことからだった。

私みたいに何も魅力のない女に、どうしてこんなにしてくれるのか、

分からないまま、私は杉村に強く惹かれるようになっていった。

そして、ひと月と少し前。

ようやく仕事が順調になり始めた私は、お礼にと杉村を食事に誘った。

私は杉村に好意を寄せていたけれど、もちろん、彼が私なんかに興味は無いと思っていた。

だから、純粋に彼に対してお礼をしたかっただけで。

その席で杉村から私に対する思いを告げられたときは、

私は目を白黒させて、「どうして私なんか・・・」と言うのが精一杯だった。

杉村は笑っていただけで、私はそのとき、世界で一番幸せな女だと思ったくらいだった。





母はしきりに彼を連れてこいと私に言う。

5月の私の誕生日には、お祝いをするから連れてこい、と。

誕生日くらいは2人で過ごさせてよ、と私は言って、それでも母の勢いに押されるまま、

会社の昼休みに、パスタを食べながら杉村に話した。

「迷惑な話だよね、ごめん。断ってくれて良いから」

そういう私に、

「いや、いいよ。お招きに預からせてもらうよ」

杉村は笑って言った。彼が笑うと目の周りがくしゃくしゃになる。

「お母さんに、是非お会いしたいしね」

そういった後に、

「ああ、例の病気で有名の、って意味じゃなくて。君のお母さんだからだよ」

そう慌てて付け加えた。

それを見ていて、最初は何だか気が乗らなかった私の誕生日が、

とても素敵なものになるような気がしていた。





それは、別に大げさでも何でもなくて、

とても幸せなことだったと思う。

いま、思い返してもその記憶を他の言葉で置き換えることが出来ない。

私は、幸せだった。

『運命』は既に動き始めていたと言うのに。

その『運命』は、もう、どうしようもないくらいに動いてしまっていたというのに。





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Last updated  2005.11.02 21:16:40


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