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M17星雲の光と影

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2006.03.23
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カテゴリ:その他
「憲法改正」という文字が新聞紙上で目につくようになってきた。その動きに抗していわゆる「護憲本」といわれる書籍の出版もあちこちに見られるようである。このブログではこのような大ネタについてはあまり触れないつもりであったが、「さすがにちょっと」と思われることがあるので、ここで一言私見を述べさせていただく。

まず憲法改正論議から。率直にいって私にはこの動きは「札つきのワルの校則改正運動」のようにしか見えないのである。どういうことか、説明しよう。

現在の日本の政治システムの基本は普通選挙にもとづく間接民主制である。これには異論はないだろう。二十歳以上の日本国民による一人一票の選挙によって代議員を選び、彼らが民意を代表し、政治を行う。そういうシステムである。

考えてみると、この一人一票の普通選挙というのはある意味ではずいぶん乱暴なシステムである。少年時代から犯罪行為を重ね、少年院で十代の大半を過ごし、出所して組織暴力団の準構成員として成人を迎えるに至った人も一票、若い頃から社会運動に邁進し、六十を過ぎた現在も地域の奉仕活動に寝食を忘れて打ち込んでいる有徳の士も一票というのは、ちょっとおかしいんじゃないの、という意見が出ても、別に不思議はないのである。「有徳の士は2票とまではいかなくても、せめて1.5票か、少なくとも1.3票くらいにカウントしたほうが妥当だと思うんだけど」と思われる方がいてもけっしておかしくはないのである。

でもそんなことを考え出すとキリがなくなる。あらゆる人間を査定にかけて、その政治的意思を社会への貢献度に応じて算出することなどできるはずがない。考えるとキリがないことは最初から考えるのはやめましょうというのが、実は現在の普通選挙のシステムなのである。「悪平等」とか「機械的平等」とかいうことばをよく目にするが、平等とは本来機械的で乱暴なものなのである。だってピンからキリまでいる多種多様な人間を「おんなじ」とみなすわけだから、乱暴にならざるをえないわけだ。

たしかに乱暴ではあるけれども、考えてみると「キリがないことは最初から考えないでおこう」というのは、けっこう頭のよいやり方ではないかと私は思う。少なくともこうすることによって個人的な恣意の入り込む余地はなくなるわけだから。しかし、そのかわりに「一人一票」というシステムは徹底して厳格に守る。投票の秘密も厳守する。現在の政治はこのような一見乱暴に見える「平等」の割り切りと、しかし、その割り切った「平等」の適用においては一切の例外を認めないという厳格さを表裏一体とするシステムの上に築かれているといえるのである。

ここまでは特に問題はないだろう。そして「一人一票」という前提条件を厳格に守るからには、選挙によって代議員を選出する場合、何票獲得すれば代議員になれるかという基準もまた厳格に一律なものとしなければならない。これは自明のことがらであろう。この基準が地域によってまちまちになると、何のために「一人一票」のルールを厳守したのか、わからなくなってしまうからである。ちなみに現在の日本社会では何票獲得すれば国会議員になれるかという基準はばらばらである。いわゆる「一票の格差」といわれる問題がそれに当たる。現在、最も格差の開いている地域で4.9倍ほどだったと記憶するが、これはおそるべき状態といわねばならない。前述の素行の悪い青年を一票扱いにするならば、地域活動に奉仕する篤志家は五票扱いにしますね、ということとこれは同じことだからだ。「地域性」を理由にこういう事態を説明しようとする向きもあるが、国家の政治システムの根幹にある大前提が地域性などというものによって歪められることが許されるはずがない。

これは明白な憲法違反である。事実、最高裁でも違憲判決が出ている。

以上が前置きである。(ずいぶん長い前置きだな)さて、憲法改正の話に戻る。現在の憲法改正を唱えている人々の多くは国会議員である。その国会議員を選出する国政選挙は以上見てきたように、憲法に抵触した状態、いわば違法状態で行われている。さらに現在の国会の状況を鑑みるに、彼らは定数是正に本気で取り組もうとしているとはまったく思えない。もしそう考えているとしたら、マジックであちこち塗りつぶされた怪しげなメールを振りかざして神聖なる国会を二週間近くも空転させることなど起こりようもないはずである。

このような状況をたとえると、学校でも有名な鼻つまみものの札つきのワルが、おとなしく善良な生徒を脅かして生徒会長選挙で自分に投票させ、当選した挙げ句、学校で生徒が自由に喫煙できるようにしようという校則改正運動を行っているのと、原理的には何も変わらないのである。

いったい何を考えているのだろうか。

しかもなぜか彼らの運動は優勢で、校則はいままで通りでいいという立場の人間が、「なぜ学校で生徒が禁煙をしなければならないか」という広報活動を積極的に行わなくてはならない羽目に陥っている。これを異常事態といわずして、何を異常といえばいいのだろうか。

憲法というのは最高法規である。国家の基本原理である。これを守るのは国民の義務である。公布依頼60年、施行以来59年に及ぶ国の最高法規に関して、なぜ「憲法を変えてはならない」というような論陣をことさらに張らなければならないのか。この60年間、日本が極貧のなかにあえぎ、戦禍で国土が荒廃し、戦死者が累々とあちこちに放置されているというのならば、話は別である。しかし、現実はどうだろう。現在の憲法が日本国民にどのように深刻な災厄をもたらしたというのだろうか。私は寡聞にしてそのような悲劇的状況を知らない。

もちろん憲法を絶対変えてはならないといっているのではない。憲法自身に改正の手続き規定が明記してある以上、それは変えてもいいのである。けれど、もし変えるのならば、「なぜ変えなければならないのか。今変えないと日本国はこのような悲惨な事態に直面するぞ。」ということを、改正論者は誰にもわかるように具体的かつ明確に国民の一人一人に示さなければならないはずだ。立証責任とまではいわないが、少なくとも論証責任は改正論者の側にある。護憲論者は腕を組んで黙ってそれをみておればよろしい。そして、その論証に不備やほつれ、論理の破綻がないかを慎重に吟味する。それが本来の筋道ではないだろうか。しかし、そのような本筋を離れたところで、改正論議がどんどん現実的なテーブルに近いところにまで迫ってきている。このような状況を憂えて、あえて「護憲論」を世に訴えなければならない状況におかれたのだろうが、これでは攻守が逆転しているではないか。どう考えても、これは憲法改正を是とする世の風潮のほうがおかしい。そうは思いませんか。

憲法というのは国の支柱であり、建築物の基礎にあたる部分である。屋根の葺き替えや瓦の色を変えるのとはわけが違うのである。「今の時代にあった憲法を」などという発言を聞いていると、まるで壁の塗り替えでも行おうと思っているのではないかと思えてしまう。土台に手を入れるならば、データを挙げて、「なぜそうしなければならないのか」ということをそこに住む人間全員に具体的に説明する必要がある。だからこそ、現行憲法は改正の発議(改正ではない)を行うためだけでも、各議院の総議員の3分の2以上の賛成を求めているのである。

それにそもそも、国会議員は憲法改正を訴える前にやっておかなければならない仕事があるはずである。それはいうまでもなく5倍近く開いた一票の格差を是正して、自らの存立基盤の違法性、違憲性を正すことである。自らの足下で憲法を踏みにじっておいて、憲法の改正を唱えるなどは、正道を踏み外すことはなはだしいといわねばならない。(なんだかいつもとずいぶん口調がちがうな)

札つきのワルの喫煙礼賛論などわれわれは聞いている暇はないのである。「喫煙によって肺にある程度の刺激物を与えることにより、循環器系の抵抗力はむしろ強まるのであって云々」というような寝言を聞いている余裕はないのだ。

だから護憲派の方々もあくまでも言論によって冷静に「喫煙がいかに健康を損なうか」を諄々と説き聞かせるのもいいかもしれないが、ここは本来、強く一喝して終わりというところである。

「おまえら、校則がどうの、自由がどうのと利いた風な口を叩く前に、まずは自分自身の素行を改めろ。いいたいことがあるなら、その後で聞こうじゃないか。顔を洗って出直してこい!」

すぱっとこう啖呵を切ったほうがいいのではないかと私は思うのである。

ああ、疲れた、こういう文体は疲れますね。第一、こういうことは無記名で発言することではありません。きちんと署名入りで言うべきことがらですね。ちょっと興奮してしまいました。まあ、無記名かつ感情的な意見などというものは単なる与太話にすぎませんから、その程度のレベルの話だとお考えください。

でも憲法改正の発議を行いたいのなら、その大前提として「一票の格差」を限りなくゼロに近づける定数是正を行う必要があるということ、これが私の言いたいことです。一票の格差をゼロに近づけることなど、憲法改正に比べれば、はるかに容易に実行できるはずです。それすら行わないで、性急に憲法を改正しようとするとすれば、そこには「何か」それ以外の目的があると考えざるをえません。自らの足元にある違憲状態を放置してまで、憲法を改正することで彼らは何を手に入れようとしているのか。そこを考えないといけなくなってきます。でもこんな当たり前で凡庸な意見すら、私は新聞やマスコミでほとんど目にしたことがないのですが、いったいなぜなんでしょう。私はいつのまにか頭がおかしくなってしまったのでしょうか。





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Last updated  2006.03.24 09:09:31
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和久希世@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) >「彼はこう言いました。「それもそうだ…
kuro@ Re:「チャンドラーのある」人生(08/18) 新しいお話をお待ちしております。
あああ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
クロキ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 良いお話しをありがとうございます。 泣き…
М17星雲の光と影@ Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
いい話ですね@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 最近たまたま伊丹作品の「マルタイの女」…
山下陽光@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) ブログを読んで、 ワクワクがたまらなくな…
ににに@ Re:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) 文句を言うだけの人っているもんですね ま…
tanabotaturisan@ Re:WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW(07/01) キャロルキングの訳詩ありがとうございま…

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