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M17星雲の光と影

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2007.12.18
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カテゴリ:文章論
もしも、ある文学作品の中に次のような一節があったとして、さて、これはどの国の、どの時代に書かれた、どのような作者の手になるものだろうか。そう問われたら、あなたはどう答えるだろうか。ただし、以下の文章はきわめて乱暴な意訳であり、原文に忠実でないことをあらかじめお断りしておきたい。

「夏の暑い盛りのことである。夜になっても暑さはいっこうにやわらがない。窓という窓を開け放った部屋で、ひとりの女がベッドに横たわっている。

ベッドはつやのある床板の上に置かれている。

どうやら男が帰っていった後のようだ。女はふんわりとした上掛けを顔の上まで引き上げて、静かに寝入っている。シーツの上には黒く長い髪が静かに渦巻きの模様を描いている。

その部屋の外の廊下を一人の男が歩いている。おそらく恋人の元からの朝帰りだろう。外には霧が深く立ちこめており、男の服もしっとりと湿り気を含んでいる。少し寝乱れた髪を無造作に帽子のなかに押し込み、男はなにかを口ずさみながら歩いている。

部屋に帰ったら、あの娘に手紙を書かなければ。そう思って、男は手紙の文面をあれこれと思案する。

ふと、男は半開きになっているドアに気づく。ずいぶん不用心だな。そう思って、その部屋の女と顔見知りであったことをあらためて思い出す。指先で少しだけドアを押し開けてみる。部屋の向こうに女の寝姿が見える。顔は知っているが、とくに親しいというわけでもない。もちろん愛情関係もない。単なる知り合いの一人だ。おそらく男が帰っていった後なのだろう。そう思いながら、男はしばらくその寝姿を眺める。その部屋をいましがた後にした男と、女の元から帰ってきた自分の姿が、ふと重なり合う。

女の枕元にはシルバーのネックレスが無造作に置かれている。そして、ティッシュの花がふたつみっつ。

ふと人の気配を感じて女が目を覚ます。ふとんをもたげて、そっとあたりをうかがうと、男が笑みを浮かべたまま、廊下の向こうの壁にもたれて、こちらを見ている。

「恥ずかしい」と思うほどの相手ではないが、打ち解けて話をする気分にもならない。それより不用意に寝起きの顔を見られてしまったことが口惜しい。

「ずいぶん未練たっぷりな朝寝坊さんだね」

そういって、男は部屋のなかへ体を半ば入れる。

「さっさと帰ってしまったアイツのことがうらめしくってさ」

女は答える。

たいして気の利いたせりふでもないが、二人のことばのやりとりの様子は悪くない。

女のベッドの脇にあるネックレスに気が引かれ、それを手にとろうとして男はもう一歩ベッドに近づく。

「ちょっと近くに寄りすぎ」。女はそう思い、なぜか胸の高鳴りを覚え、思わず壁際へ身をずらす。

男は女のネックレスを手にとって眺めながら、「ずいぶんよそよそしいんだな」と軽いうらみごとを口にする。

そうこうするうちに、外が明るくなってくる。人の声が聞こえ、もうすぐ日も顔を出しそうだ。

夜の霧が晴れていくにつれ、恋人に書くはずだった手紙の文言もいつかかすんでいく。

すると、女の部屋の郵便受けに何かが落ちる音がする。いつのまに書いたのか、どうやらこの部屋から出て行った男の書いた手紙が届けられたようだ。

なかなか気の利いたことをするじゃないか。

すっかり明るくなった頃合いをみて、男は部屋を出る。

「オレがさっき別れてきた女のところにも、変な男がもぐりこんでたりしてな」

男はふっと笑いながら、そうつぶやく。」


どうでしょう。とりたててストーリーがあるわけではない。やや頽廃的な、けだるい空気のただよう情景描写である。「情事の終わり」というようなタイトルがふさわしいかもしれない。

国名はどうだろう。フランス?イタリア?それともスペイン?アメリカということも考えられる。

時代は?1900年代前半くらいかな。30年代、ロストジェネレーションのあたりかもしれない。

作者は男性だろうか、女性だろうか。どうもベッドに寝ている女の側に視点が据えられている感触があるので、おそらく女性かな。

ということで、正解の代わりに原文の冒頭部を引用することにしよう。

「七月ばかり、いみじう暑ければ、よろづの所あけながら夜もあかすに、月のころは、寝おどろきて見いだすに、いとをかし。闇もまたをかし。有明はた、言ふもおろかなり。」

正解は、「日本、約千年前、清少納言」の「枕草子」第三十三段でした。

季節の風俗を描写しようとして、女の寝姿から、ふとその姿を目にする朝帰りの男の話になり、ふたりの間になんともいえぬ微妙な空気が流れる。

その背景に朝霧を置いているところが巧みである。清少納言という人には舞台監督の素質がある。もやもやとただよう情愛の霧のなかに静かに寝入っている女と、その霧の中を帰ってくる男。夏の朝霧を身にまとったふたつの影がふと接近し、触れあいそうになる。

しかし、官能の霧は朝日とともにはかなく消えてゆく。そういう一場面の描写である。

うまいものである。彼女が和漢の素養にあふれたとびきりの才女であることはたしかだが、その文章の真骨頂はむしろ「こういうことを書こう」という意識の統制のゆるんだ瞬間にこそ発揮される。この章段はその好例である。

文章にとって、新しいとか古いとかいったことはたいした問題ではない。

こころに触れる文章、残酷な時のヤスリをかけられながら、なおも生きつづける文章。そういう文章の特質を一言でいうならば、それはどこかで文章そのもののもつ「限界点」、あるいは「際(きわ)」に限りなく近づいているということだろう。

ことばで表現することの「際」に立ち、その向こう側にある深淵をのぞきこむ時、ごくりと呑み込まれる生唾の音。

その音が生々しく聞こえる文章をこそ読みたいものである。

現代のへっぽこ小説家のへっぽこ小説のへっぽこ描写を読んでいる場合ではないのである。

私は導きの糸となってくれた橋本治「桃尻語訳 枕草子」を脇に置き、いま枕草子の原文をちびちびと読み進めているところである。





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Last updated  2007.12.18 20:34:57
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和久希世@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) >「彼はこう言いました。「それもそうだ…
kuro@ Re:「チャンドラーのある」人生(08/18) 新しいお話をお待ちしております。
あああ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
クロキ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 良いお話しをありがとうございます。 泣き…
М17星雲の光と影@ Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
いい話ですね@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 最近たまたま伊丹作品の「マルタイの女」…
山下陽光@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) ブログを読んで、 ワクワクがたまらなくな…
ににに@ Re:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) 文句を言うだけの人っているもんですね ま…
tanabotaturisan@ Re:WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW(07/01) キャロルキングの訳詩ありがとうございま…

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