テーマ:欧米では(1)
カテゴリ:ものの見方・考え方
私も自分のメルマガで「欧米では」という表現をして読者から「そんなアバウトな言い方はよくない」と指摘を受けたことがあります。
確かに日本の特徴を書きたいが為に、日本以外と比較するには、この「欧米では」という表現が使いやすい。 もちろん「欧米」といっても多くの国が存在するわけで一つにまとめること自体何の意味もない。 「欧米」という言葉がいつからどのように使われだしたのかは知りませんが、私の場合概ね「日本以外の国」という感覚であまり大した意味も考えていません。 そもそも日本の特徴や日本人の特徴を書こうとするときに、厳密に言えば、世界中の国の事情を知っていないと書くことが出来ないことになりますよね。 しかも日本の特徴や日本人の特徴というのは、他国と比べて初めてそれらの相違点のことを「特徴」と言えるのではないか、と思うのです。 となれば、誰しも日本人の特徴や日本いう国の特徴は書けるものではないように思う。 「客観的に」という言葉がありますが、「客観的に」文章を書けるはずがない、と私は思っています。 自分が書いた文章は必ず「主観的」ですからね。 つまり、私の考えるところ、「欧米では」という表現自体には大した意味はなく、「欧米」を引き合いに出すことによって本当は伝えたい「何か」があるわけです。 それが、事実であろうとなかろうと「読んだ人にとって役に立てばOk」と考えています。 これは極論かも知れません。 私の場合「事実は人間の数だけある。」と考えているからです。 世界中のどんな人も、その事実の一部しか見ていない。 その事実の一部から全体を想像して自分が感じたこと思ったこと(主観)を他人に伝えるのですから、それ自体が大変アバウトなことであると思います。 従って日本を強調したいとき、日本人を強調したいとき、 私は、今後も「欧米では」とか「諸外国では」と無責任に使うかも知れません。 また、自分自身を強調したいとき、自分の強みを強調したいときは、「日本人は」とか「人は」とか「一般的に」とか 「この世の中」といった抽象的で無責任な表現を使うかも知れません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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