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テーマ:懐かしい昔の話(545)
カテゴリ:懐かしい昔の話
【晴】
弟が風邪で熱を出して寝込んだので、母は看病にかかりきりでいた。 我が家ではいつもの事なのだが、子供が床に就くと、母はとても神経質になってしまうのだった。 ずっと以前に女の子を二人亡くしている事が原因らしい。(※16年3月29日30日参照) そして、病気になると必ずやられるのは、まずピストルという大きなアンプルに入った薬を飲まされ、ノドを痛めていると、お医者さんが使うような銀色の針金の器具の先に脱脂綿を巻きつけ、そこにルゴールをつけてノドの奥をグリグリとやられる。 どんなに我慢しても、それをやられるとゲーッとやってしまい、時には本当に吐いてしまう事さえあった。 熱がある内は、リンゴをおろし金で摺ってガーゼで絞ったジュースが飲めたのが、苦しい中の楽しみだった。 物が食べられるようになると、まず病状によっては重湯かカタクリ、少し良くなって来るとおかゆが出て、もっと良くなると濃いおかゆになり、時には玉子雑炊や軟らかく煮たうどんも食べられた。 しかし、普通のご飯はなかなか食べさせてもらえず、寝込むという事は腹の減る事と同じ意味を持っていた。 どういう訳か大抵の場合、飴だけは口にする事が出来て、最初の内は口の淋しさを紛らわせられるのだが、その内に甘いものより塩味のするものを口に入れたくなって来る。 そんな時母は「絶対に食べちゃダメだよ」と注意して、タクアンを一切れしゃぶらせてくれた。 少し熱っぽい体には、タクアンの味は何にも増して美味なものだった。 《アトリエ白美:渡辺晃吉》 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年04月07日 20時06分34秒
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