お米についての一意見
ひさしぶり投稿です。今日、別のところでお米の話しを書く機会がありつれづれに書いてしまいました。お米の議論って、いろんな人に農のことを感じてもらうために入り口としてはよいなあと思い、ここでも書かせていただきます。いろんなコメントほしいです。平成5年の米の大不作を覚えておられますでしょうか?私の出身地奈良でも、1週間ぐらいは、お米が買えませんでした。豊かになった時代におきた、大変な記憶だったと思います。政府は何をしているのか?と連日マスコミで言われていた気もします。しかし、米が余ってくると、今度は、そのための生産調整に対する補助金の批判が吹き荒れました。(今もそうでしょう)私はちょうどそういうときに、食糧庁(もうなくなりましたが)に配属され、消費者から、政府の一員に立ち位置が変換したこともあり、消費者ってなんて身勝手できまぐれなんだ!!!!!と憤りました。野菜類は、なくなってしまったらしょうがないで済ませるし、価格の相当な上下も受け入れる消費者が、米については、安定的な(かつ安価な価格)で、安定的な量を、「365日必ず」買えるようにすることを求める心理はどうしてなんでしょうか???それは、米を食べる側に、潜在的な優越思想があるのではないかと思っています。国民の大多数がお米をつくって出していた時代から、集団就職して都会にでてきた時代、農家の次男三男さんは、「農村での貧しいくらし(つくった米を都会に出さないといけない暮らし)を 超えた豊かなくらし(農家のつくった米をお金でかって食べる暮らし)に なってやる」という精神だったのではないでしょうか?それは、米をつくる側が下で、米を食べる側が上という精神構造なのでは?それが潜在的に、今でも、お米を食べることが「対等関係」ではないことにつながっているのでは?ましてや、今食卓で、ごはんつぶを残すとお百姓さんに申し訳ないなどと言われることもなくなりましたよね。お金もってる人間が強いという風潮がますます強まっているのでは?そして、ここが、米についての大きな議論の隔たりだとも思うのです。みなさんは、どう思いますか???(追伸)NHKのライスショックという番組で東京大学の先生が、お友達の国から買えばよいじゃないか という旨の発言していましたが、みなさんはどう思いますか?私は、家の食事をすべて、お隣の家から買ったりもらったりする(自分でつくらない)のがありえないという感覚の延長線上で、某東大の先生に真っ向反対です(感情論ですがね)。といきなり激してしまいました、、、。みなさんのご意見(できれば反論)をお聞きしたいです。