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カテゴリ:おぼちゃまくんについて
告知の時の事も良く聞かれるので忘れないうちに書いておきます(ーー;)
何故なのか分からないのですが、幼稚園の時に子ども家庭センターを訪ねたのですが、WISKを取って貰ってもLDの傾向があると言われて少しのアドバイスで終わってしまいました。 その頃はそんなにメジャーじゃなかったという事もあるのでしょうけど、親の会の先輩ままさん達は「えっ~病院紹介してもらえなかったの???」とはてな・・・ 私も???です。その時に療育センターとかないのかも聞いたのですが、うちでは紹介するところがありませんと言われて自分でPCで調べて九州の親の会の方に情報や関わり方のアドバイスを受けていました 小学校時代はLD←先生方はお母さんの気にしすぎ!&躾がなってない!でした。 支援が中学に入った時に軽度発達障害支援法のモデル都市で1年早く貝塚市では施行されたんですね! なので、はじめは親の私の方がとまどいましたね、どうしてもっと早く支援がなかったんだよって、小学校時代に支援があれば「僕はばかです」なんて言葉言い続ける事はなかったのに・・・ 中学1年生の時に養護学級の先生にWISKを受けてみませんか?と声をかけてもらい、ヤッター無料で受けれると快諾中学校でWISK受験者第1号(*^^)v プロフィールを基にケース会議←第1号という事でWISKをとって下さった先生(支援学校)中学校の担任・養護教諭で1回そこへ私+で2回 そして、そのプロフィールを持って現主治医の元へ私1人で行きました。そこで、さらに詳しいプロフィールの見方を教わり先生一言「ADHDやな」 その頃すでに活動、勉強していたのですが、どこかで認めたくない自分がいてたような気がします。 私は「えっ、やっぱり、LDだけではなかったんやっ~でも多動な面は落ち着いてきたのに」と言って一瞬、ショックを受けましたが、少し楽になった気持ちとある面凡人じゃなかった喜びと複雑な気持ちでした←後に不登校引きこもりで嬉しさなんか飛んじゃいましたけどね主治医と本人に告知するかどうか?どういう風に告知するのか?ゆっくり話し合いました。まずは、プロフィールを見ながら、ここはしんどくないか?ここは素晴らしいとか説明をしてから ADHD という事を本人につたえましょうと方針を決定し、後日、私とお坊ちゃま君と主治医3人で話しました。打ち合わせどおり、主治医が「何かしんどい事とか困っている事はない?」から始まり、プロフィールを子どもでも分かりやすいように説明してくれて「困っている事はこれからは言ったら良いよ!先生やお母さん僕も一緒に考えるから」といった後に、「見通しなんかはIQ140以上あって東大生並みやで~」と言ってくれ自然な感じでADHDなんだよという言葉がでてきましたね。 なので、お坊ちゃま君の頭の中に残った言葉はADHDではなく・・・ IQ140以上 でした(;一_一) なので、「俺ADHDかぁ~でもIQ140♪」と言う調子←おいおい、見通しだけだってば(;一_一)でしたね。 私の本棚にADHD・アスペルガーLDの本が満載で普段からADHDと言う文字をみているのであまり私が考えたより、すんなり受け入れていましたよ。 友達とかにも「俺ADHD」とか普通にいってましたし。 とながくなりましたがこんな感じです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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