外猫、家猫といる中で、10日ほど前から気になっていたブログがありました。
外猫のボスニャンを家猫として以来、私は『ボスにとっての一番の幸せ』をいつも考えてきました。
この方の日記の内容はニャンタに置き換える事も出来、未だに私を悩ましています。
私も同じ事をしている。と
以下抜粋・・・。
家の猫たちは6畳の部屋の中だけで飼われていて広い地球の中の6畳しか知りません。
餌もいつも決まったものを食べてそれ以外はほとんど受け付けません。
すでに去勢も終わっていて子孫を残すこともなければメス猫に会うことすらないでしょう。
二匹で俺の帰りを待ちさびしくなったら「遊んでくれ」と鳴いて
おなかの上でゴロゴロとうれしそうに寝ています。
とても幸せそうなんですけど、なにか違うのかなぁ・・・と考えてしまいました。
僕、個人は本当に自由でいるのがとても好きで自分で考えて自分で動くことが大好きです。
それは俺だけが特別なんじゃなくて特に猫なんかはそんなのが大好きなんだろうなぁ・・・と
犬にはない猫独特の身勝手なところが俺は大好きなわけで
そんな俺が結局、生まれながらの家猫を育てたんだなぁ・・・とか考えるとどうにもこうにも。
猫に対して自分の子供のような感情があればあるほど、「どうしたらコイツらの人生を素敵なものにできるのだろうか?」という疑問に苛まれてしまいます。
俺の死んだ親父は常に「お前の好きしろ」と俺に言ってくれました。
ガキの頃は(なんて適当なやつなんだろう? どうでもいいのだろうか?)と思いましたが
結局はこういうことだったのだろうか? と考えてしまいます。
でも二匹に「好きにしろ」とやってしまうと車にはねられてペチャンコになるかどっかに行って帰ってこないような気がします。
自由に生きて自由に死ぬ。 すべての生き物が望む生き方。
家の二匹には生まれた時から許されていなかったのかと思うとなぜか悲しくて。
俺が好き勝手に生きている中にいろんなものが組み込まれていくことが切なくてしかたありません。
よし またたびをあげよう! それくらいしかしてあげられることが思いつかないから。
お布団で寝れたら幸せか?
外に行きたいか?
ニャンタ教えてよ