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こうしてパソコンで打っていると、どうしても、自分で文字を書くということが少なくなります。
他人の書体で書いている、という、この不思議な現象。 みんなが読みやすいと思うのは確かなのですが、何か統一されてしまうことへの気持ち悪さを感じます。 権威への反発、というか、なんというか。 もっと自由に書きたい。 その思いが、ギャル文字を生んだのではないか、と考えるのですが、どうでしょう。 誰かの書いたミミズがのたくったような文字を解読する楽しさというのはあるものです。 パソコンの固定された活字を使って自由に表現する。 いいじゃないですか。 ただ、結果として、ギャル文字も、そこまでいろいろなことができるわけではない、という現実があります。 そして、みんなが同じように使うようになったら、それは個性でもなんでもないように思われます。 いかに自分の文字で書くという機会が減っているか、です。 パソコンで書くということは、「新聞紙を切り貼りして犯行予告文を作る」のと、ほとんど変わらない、のです。 書体が固定されている以上、文体や表現内容で補っていかないことには、個性のある文章は書けません。 意外にこんなところにも機械化の波が来ているのです。 こういう時に書道をやりたくなりますね。 道 ほら、この字のなんと非人間的なことか。 人間らしい道がほしいものです。 <今日のまとめ> 人間らしくあるために、人間らしい文字を書こう。 人間らしい文章を書こう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年07月24日 18時34分14秒
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