京浜(ケイヒン)と東横(とうよこ)を考える
どうでも良いことだが、東横○○なる会社があるのを広告でみた。東横建設だったか、東横不動産だっかた。たしかに東横インはあるのだがと思いつつ、考え込んでしまった。東京と横浜を総称するのなら、京浜工業地帯とか京浜東北線のように、京浜が本来ではないだろうか。たしかに東横という言い方があるものの、東京人には馴染みかも知れないが、私の言語感覚ではしっくり来ない。あえて、その理由を考えて見ると、2つ。(1) 横(よこ)は訓読みだから音読みの東(トウ)と並ぶ苦しさがある。例えば、仙山線、仙石線、横黒線(横手と黒沢尻)、水郡線などはハマっているだろう。ケイヒンの方が読みやすい。なお、逆に訓読み同士で並べた例に、目蒲線などがあるが、それまた、大和言葉として一体性があると言えるだろう。湯桶や重箱の合成語はどうも苦しいように感じるのだ。埼京線という響きに最初は違和感があった。京葉線はしっくりするが。(2) 東京の2文字を1文字にするときに、東か京か。そもそも、地名を一文字にするときにどの文字を選択するかを考えるに、仙台なら「仙」で、石巻なら「石」だが、最初の文字を選ぶとは限らない。大阪のように印象度の高い「阪」を選ぶこともある。阪神、京阪奈。また千葉も、京葉線など。そこで、問題の東京の場合だが、成り立ちからして「東の都」なので、どちらも土着の固有性がなく印象の薄い文字だ。あえて言えば、方位の東より「京」を選んで、上京とか帰京とかいうのが、どちらかといえば自然な気がする。東大、東電、東芝の例もあるが、それは合成された名称を合成要素に細分解して最初の文字を綴ったのだから、場合が違うというべきだろう(もっとも、阪大、ナベツネなどの例もあるけど)。さて、では、なぜ東横という言い方がされてきたのか。私は東京人でないから全く自信はないが、おそらく、東横(とうよこ)で連想するのは、東横イン、東横線と東急百貨店でないか。東横線と東急百貨店は東急グループ。中心企業の東京急行電鉄は、前身は東京横浜電鉄と称し(1924年)、1939年に姉妹会社の目黒蒲田電鉄(目蒲線)と合併。なお、東横短大は、もともと東急の五島氏が設立した学校法人なので、東急グループゆかりの東横の名を継承したもののようだ。他方で、東横インは東急グループとは関係がないそうだ。東横線の呼称は1927年からという資料があるから、前後関係からして、東京横浜電鉄の頭文字(東大、東電のパターン)として造語的に命名したのではなかろうか。そこから、東横(とうよこ)の語が、田園調布や学園都市のイメージと相まって、好んで使われてきたのではないか。東横をトウオウと読む手もあったのだろうが、新規性がない。あえて、耳になじまない湯桶読みで、ブランニューな印象を与えようとしたのではないか。五島総帥の高等戦略か。勝手な推測だ。これを受け止めた人たちとしては、単に東京と横浜を中心とした一体を機能的に指し示す京浜(ケイヒン)ではなく、あの、洗練された東横なのよ、という感覚か。...どうでも良いことだった。