カテゴリ:仙台
これまで10回以上引っ越ししました。仙台市内では5カ所ほどに住みました。それぞれに思い出が深いですが、あえて住んでみたい一番を挙げれば、五輪一丁目です。仙石線の宮城野原駅から歩いて帰るのが好きでした。さりげない駅と小さいスーパー、決して新しくない住宅に挟まれた細い路地を通って帰る、という雰囲気が良かったのです。
あまり東北にはない風景だし、かといって首都圏の私鉄沿線ともちょっと違って洗練されてもギラつてもいない、さりげない感じ。 住まいは高層マンション(古くて狭くて安い賃貸なのですが、一度火災があって、TVで「マンション火災」と報じていたから、堂々と書かせてもらいヤス。)の11階で、部屋から望む風景も好きでした。遠くに太平洋、また仙台駅に滑り込む新幹線も見え、夜には大年寺山のアンテナの天気予報を眺めたり。 そう言えば、宮城球場でオールスターが開催され、大魔神佐々木が登板しましたが、熱狂の球場を窓から見ていました。 五輪という町名は、東京オリンピックにでもちなんでつけた安易なネーミングだろうと思っていましたが、いやいや由緒があって、地・水・火・風・空の五輪(仏教でいう元素ですね)を示す仏塔が今の育英学園のあたりに有ったのだそうです。旧町名にも、原町南目字五輪、というのがあって、他の小字とともに、統合、地番を整理して、五輪一丁目・二丁目となったというわけです。 昭和40年4月に仙台市で初めて住居表示制度を導入したのは、なぜか旭ヶ丘ですが、その次が五輪だったそうです。 部屋からは朝夕を問わず仙石線の電車の音と、踏切を通る車がレールの上を渡るガクンという音が聞こえていました。慣れてしまったらしく、転居した泉区では夜が静かすぎて眠れない(静寂が耳を襲う感覚)ほどでした。 住んでみたい一番、と書きましたが、今では仙石線も見えなくなりましたね。9月には、家族で宮城野原駅からフルキャストスタジアム宮城にイーグルス応援に行きましたが、もう全然変わっています。あそこがお父さんの住んでいた家だよ、と子供には言ったけど... (編集部注:一部に『忘れかけの街・仙台』(河北新報出版センター)を参考にしました。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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