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仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

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2006.02.17
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カテゴリ:宮城
何日か前の日記で仙台・宮城を選んだ株式会社アバンテクを賞賛しましたが、その際、勢いで書きそうになりながらも、どうせ整理が付かないからと自重したことがあります。それを、今朝は思い切り書きます。

仙台文化あるいは宮城の県民性は、よそ者を排外する閉鎖的風土とよく言われますが、ものづくりで元気な企業人は結構他県から来て活躍していますね。

そもそも仙台が東北他都市と違い一目置かれたのは、伊達政宗のりっぱな城下町形成のお陰もあるけれど、歴史を見れば、奥州における地政学的優位性、松島の存在、多賀城国府という歴史的拠点性を背景に、古くは関東御家人の来住、さらに近代では、東北鎮台(第二師団)、二高設置(東北帝大)など、外来的な地位であって、人の交流をおのずと前提としているものです。もっと端的に言えば蝦夷・奥州・東北の統治という国策上の事情をかぶせられた重層的性格をもつ都市だと言えます。

だから、言い方は悪いが、昔から支店都市であり行政拠点都市だったし、都会性と閉鎖性の二層的県民性、つまり、外からかぶせられた機能の高さと、もともとの実力のホドを、混同し勘違いしていることも、この歴史的沿革から説明できるのではないか、とある程度思っています。

我々は、「自然豊かで洗練された杜の都」「東北の中心都市」と自慢するけれど、外から見ると、ミニ東京に過ぎず、東北なのかそうでないのかも、良くわからない。かえって、例えば盛岡、弘前・津軽、会津に対しては確固たる固有の文化イメージを持てる、というところでしょう。仙台人は東北の中心という意識はあっても、本当に東北に対する帰属と愛着の意識を持っているかというと、相当あやしい。

感覚的議論になるが、例えば、宮沢賢治や石川啄木は、岩手県人にとっては、ふるさとを真っ直ぐに見つめ、地に根ざした姿勢で、活躍し、或いは世界観を持った、と受け止められていると思う。また、青森の棟方志功、会津の野口英世なども。

また、これらの偉人を顕彰している一般人の意識も、仙台人とは少々違うようにも思う。風雪や貧困にあえぎながら、郷土に根ざして生活し、郷土に正面から向き合う。学問にも取り組み、人材の重要さを認識して、郷土を出た人も含めて、その功績を素直に顕彰する気風があるように思う。
(ときに過度の同郷意識とみられることもあるかも知れない。けれど排外性は薄いように思う。自分たちに優越意識がないから。)

仙台はどうだろうか。向き合っているのは、等身大の郷土ではなくて、実のところは、「誇り高い大藩仙台」なる意識それ自体なのではなかろうか。つまり、俺たちは陸奥・東北の中心よ、他の東北とは違います、という優越意識が根強くあるから、この優越意識を肉付けするものを探そうとする。仙台の優越性は実は上記のとおり外来的なものなのだが、それでは淋しいから、内在的な肉付けを探そうとする。かといって、土着的には農村地帯なんです、と素直にも言えない。とすると、一番に出るのは伊達政宗、そして政宗の築城と特に許可されたすばらしい城下町、というあたりだろう。それならイケるぞ、となる。これがどうしても、仙台の城下町文化・商人文化に価値を見いだそうという傾向を導く。

また、比較的裕福だからハングリーに何かを追求したり改めたりする気風が生まれにくく、さらに戦国以前から有力大名による割拠がなかったから、城下町仙台や他都市に張り合おうという意識もなく、全県一円に同質的伊達文化が広まった。外に向けて伸びることよりも、専ら内向的な足引っ張りに走る。まあ、これで困らないし、これでやってきた。

本当は優越意識なんか取り払った方が、素直に郷土と向き合えるのに、と思ったりもする。現在の仙台市や宮城県のビジョンやスローガンをみると、よくわかる。都会、自然、コメと魚、大学、空港、港湾...何でもありの市です県です、と自慢する。しかし、ミニ東京や東北の縮図という相対的地位はあっても、この地域ならではの絶対的定点的な価値の発信力が、薄い(音楽の都など仙台市は頑張っているけれど)。そういう意識がないからだ。なくてもやって来たのだし。

ただ、私は、優越意識を取り払えと言いたいのではありません。客観的な優位性は活かすべきだし、意識もして良い。問題は、無理をして伊達の城下町文化・商人文化こそ優越性のゆえんだ、と思っていること、信じようとしていること、そのことなのだ。

仙台の優位性は、上記のとおり「拠点都市」です。外からかぶせられた沿革に基づくけれど、間違いなく都市の優位性だ。そして、拠点性に基づいて、本来の実力に不相応なほどの(!)素晴らしい人的交流が行われ、外来者(言いたくないコトバだけど。)も大いに活躍してきた。そのことを素直に仙台の素晴らしさであり、価値だ、と認めればいい。

仙台市という地理的範囲にこだわるためなのでしょうか、狭い殻を前提にして、風格とか伝統とか考える風潮が多少あるように感じますが、それは、絶対にやってはいけません。悪い面出るだけ。
(この辺、酔っぱらいオヤジの口癖のようになっています。)
なぜなら、そもそもそれは、無理だからです。無理なのに、なにか固有の絶対的定点的価値を見いだそうとして、「伊達文化」を無理して持ち出しているのです。何か仙台固有の、内側にあるものを、昔から優位性のあるものだと、無理して仕立て上げようとする。

(誤解なきように。伊達文化を否定するのではないです。無理に優位性だとして磨き上げようとするのは、伊達文化イコール排外性みたいに評されてしまう。むしろ「伊達文化」にとっても不幸だと思う。伊達の誇りは、決して排外性ではないのだ。政宗公もあの世で泣いている。)

少し前に、別学ナンバースクールは仙台の誇り高い伝統文化、などという人があった。仙台一高なんてせいぜい百年、城下町仙台もたかだか400年の歴史でしょう。その政宗の仙台開府だって、律令の頃からの松島と瑞巌寺という特別な場所に着目したからとも言われている。そう、仙台を語るには、少なくとも松島・塩釜・多賀城は、はずせない。松島あっての仙台であり、それがゆえに交流が生まれ、拠点性が高まり、来住者も活躍してきたのだ。

城下町仙台にしても、当然ながら仙台だけで完結していたわけではない。例えば芭蕉の辻は文字通り交流の交差点。ここから、原町や岩切を経由して塩釜や松島に至るルートは、日本中の憧れを集めるトップクラスの文化性を誇り、大いに交流があった。

交流ばんざい、外来者も頑張れ。そもそも、外来者とかヨソ者とか、敢えて区別すること自体がおかしい。仙台に来たら仙台人、宮城で活動する人は宮城人、それ以上でもそれ以下でもありません。これぞ仙台・宮城の力よ。

最後に、酔っぱらいオヤジのグチを、もう1つ。

よく仙台育英や東北高校に特定のスポーツで入学して活躍する選手に、「あの人は○○の人だから...」と評する人が、今でもいます。そういう人は田中さんのノーベル賞も仙台とは無縁だというのでしょう。私はそういう無定見に非常に腹が立ちます。それこそ仙台の姿であり、力でしょう。それを否定して何が仙台なものか。

(この記事では仙台と宮城を敢えて分別していない部分があります。その場合、仙台藩=宮城県、仙台文化=宮城の県民性、という程度に捉えています。)





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最終更新日  2006.02.17 05:51:51
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