カテゴリ:東北
これは龍飛岬にある看板に書いてあったものだ。
『義経渡海伝説』 源義経は岩手県の衣川で最期を遂げたと伝えられている。しかしその前に脱出し、海峡を越え北海道に渡り、さらには大陸に至ったという伝説が残されている。ここ外ヶ浜町三厩地区にも『義経渡海伝説』や数多くの遺跡が残されている。 『義経渡海伝説』の中で、義経が海峡を渡ったとされる場所が義経寺(ぎけいじ)。三頭の竜馬がつながれていた場所が厩石(まやいし)と伝えられている。三厩の地名の起源はこれに由来するといわれている。 義経は津軽海峡を渡るため、日頃身につけていた観音像を岩の上に置き、三日三晩、海上平安の祈りを捧げた。すると杖を手にした白衣白髪の老人が現れ「汝の願いを聞き届け、三頭の神通力を備えし竜馬をつかわそう。これに乗り海を渡るべし」と告げた。やがて近くの岩窟の傍に来ると馬のいななきが聞こえ、中を覗くと見事な駿馬が三頭つながれていた。振り返って海を眺めると荒れ狂っていた海がいつのまにか静かになっていた。こうして義経一行は無事に海峡を渡ることができたという。 義経北行伝説ゆかりの地 紫波町→平泉→高館→束稲山→衣川村→江刺市→大東町→遠野市→山田町→宮古市→川井村→新里村→田野畑村→普代村→久慈市→八戸市→青森市→三厩村→北海道→大陸へ (青森県の地図の中に、寺下観音、小田八幡宮、藤ヶ森稲荷神社、貴船神社、油川、と経路が示されて、義経寺・厩石から北海道へルートが続く。) 龍飛崎から龍馬山義経寺・厩石 12km (「厩」の文字は便宜上これで代用しました。以下同じ。) 岬を後にした私は厩石・義経寺に向かう。まず、路傍の義経海浜公園に着く。 そして、厩石だ。傍らの看板にこう説明がある。 厩石の由来 文治5年(1189年)、兄頼朝の計らいで、衣川の高館で藤原泰衡に急襲された源義経は、館に火をかけて自刃した。これが歴史の通説であるが、義経は生きていた! 藤原秀衡の遺書(危難が身に迫るようなことがあったら館に火をかけ、自刃を粧って遠くの蝦夷が島(北海道)へ渡るべし)のとおり北を目指しこの地に辿り着いた。 近くに蝦夷が島を望むが、荒れ狂う津軽海峡が行く手を阻んで容易に渡ることが出来ない。そこで義経は海岸の奇岩上に座して、三日三晩日頃信仰する身代の観世音を安置し、波風を静め渡海できるよう一心に祈願した。 丁度満願の曉に、白髪の翁が現れ、"三頭の龍馬を与える。これに乗って渡るがよい。"と云って消えた。翌朝巌上を降りると岩穴には三頭の龍馬が繋がれ、海上は、鏡のように静まっていて義経は無事に蝦夷が島に渡ることができた。 それから、この岩を厩石、この地を三馬屋(三厩村)と呼ぶようになりました。 この画像で、石の手前の黒い石碑には、三厩村名発祥之地と刻まれている。 厩石と国道を挟んで向かいが、義経寺。 山門まで上がると、三厩湾の向こうに高野崎、さらに下北半島の陸地が間近に見えるのだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.06.13 06:27:03
コメント(0) | コメントを書く
[東北] カテゴリの最新記事
|
|