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2016.02.18
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カテゴリ:国政・経済・法律
4月に行われる衆院京都3区の補欠選挙では、民主党現職の泉健太氏が立候補を表明している。しかし、泉代議士は、辞職した宮崎氏(自民)に京都3区で敗れているはいえ、比例近畿ブロックで復活した現役の代議士だ。わざわざ辞職して小選挙区で勝ちたいという本人の意向や政党の思惑はそれとして、選挙制度における有権者の立場から見れば、何の意味があるのか。素直に、そう感じていた。

誰かこの点を指摘して論じてくれないかと思っていたら、河北新報の県内版によると、中野正志参院議員が、ズバリ泉氏の鞍替え立候補を批判したという。わが宮城の国会議員と我らが河北新報が報じたことに、感謝?の念。

中野氏の論は、辞めて同じバッジをつけ直すのはおかしい、というのだが、中野氏本人にまつわる経緯があるのだ。04年に衆院宮城2区選出議員だった鎌田さゆり氏(民主党。現宮城県議)が辞職した際に、中野氏は自民党公認で宮城2区で鎌田氏に敗れ、比例で復活していた。ちょうど、今回の京都3区の泉氏の立場だ。鞍替え立候補を検討したが、自民党や他党から、現職が辞職して同じ選挙に出るのはおかしいとの批判を受けて断念したという。中野氏は、泉氏は当然のように立候補し、民主党は公認すると言うが、それはおかしい、議員と政党のわがままだ、と指摘したとのことだ。

まさに簡潔にして明瞭。まったく同感だ。

有権者からすれば、衆院議員として立候補した泉氏は、比例復活であってもとにかく衆院議員になったのだ。小選挙区当選議員も、復活議員も、あるいは比例単独議員も、議員としての責任や権能に何の違いもないし、もちろん任期が長くなるわけでもない。この人にとって言わば「立候補の大義」がない。かりに、晴れて小選挙区当選の栄誉を勝ち得たとして、有権者や国民からみて、泉氏に期待する国会議員活動に何の違いも出るわけでないから。

(あえて言うならば、比例ではなく小選挙区なら、当該地域の有権者のためだけに仕事をさせてもらいます、という違いか。議員は全国民の代表(半代表)の建前とは言っても、現実的に選挙区を念頭に活動するのは当然だから。だがしかし、比例復活議員は小選挙区議員を目指して立候補して惜敗した人なのだから、実質は小選挙区の議員と言っていいだろう。これとは峻別された「比例議員像」を有権者が観念しているとは思えない。比例当選議員が、どの地域に根を張って活動するかは、それまでの経緯や事情で決まってくるのであって、(比例で復活したら)近畿とか東北とかのブロックを満遍なくドブ板活動しろとは有権者は思っていない。なお、以上の私の立場からすれば、比例単独で当選した人が小選挙区に鞍替え立候補するのは、多少は「立候補の大義」があることになろうか。小選挙区当選の現職が選挙区を替えて鞍替え立候補する場合に近いことになる。)

さて、ならば、なぜ鞍替え立候補なのか。それは、政治的な事情だけだ。民主党が議席を増やせるからである。すなわち、自民は公認を立てないだろうから、小選挙区で悠々勝利した上に、比例で繰上を得られる。また、夏の参院選に向けて党勢に弾みが付くというものだ。

ちなみに、繰り上げする人は、比例近畿で次点だった北神圭朗氏で、京都4区が地盤という。

現職の参院議員が衆院補選に打って出ることはよくある。国会議員を大括りにしてみれば、それだって批判されるべきとも言えそうだが、しかし、少なくとも形式上、衆院と参院の議員に期待される役割は違うし、実質的にも選挙区の地域の広さや任期も違うから、有権者にとって「選挙の利益」はあると言えるだろう。これに比較して、まったく同じ衆院議員になるために現職をやめるというのだから、「投票の利益」などないのだ。あるとすれば、永田町の論理。政治的な思惑にお付き合いする(付き合わされる)ということだけだ。

民主党の対応も、いかがなものか。私は、小選挙区は堂々と泉代議士以外の候補者を公認すべきと思う。勝てる候補で楽勝して党勢拡大、などと永田町の論理丸出しで、それは有権者に失礼というものだ。いったい選挙を何だと思っているのか。だいたい、今回の件も、敵失で喜んでいる程度の話だ。しっかり新人を擁立していくなどの対応もできないのか、と逆に底の浅さを示してしまうことにならないか。

そもそも何でこのような事態が生じるのだろうか。そこには、複雑怪奇な選挙制度の存在がある。小選挙区と比例区の並立制で、しかも重複立候補を認める法制がとられていることだ。現実として(特に自民や民主では)重複立候補が多く行われ、惜敗率に基づき比例復活するという仕組みが、政治的な面では、候補者の救済の機能を果たすとともに、地方政治の世界で、「わが選挙区あるいは地域には現職衆院議員が2人いる。2人目は復活だけどね。」という状況を作り出す。ここから、一種の小選挙区「優位」観が生じてきて、何としても小選挙区勝利をめざすという思いが候補者や陣営にわき上がるという面があるだろう。また(より重要な点だろうが)、比例繰り上げ当選の仕組みとあいまって、選挙区で逆転勝利すれば、党の議席数拡大に寄与することが狙いとされることになる。そして、誰を立てるか。人材が豊富なら良いが、貴重な候補者(いわゆる総支部長)が比例復活していると、それをさしおいて新人を立てるより、総支部長ならまとまりやすい。

だが、あくまで選挙制度として見た場合には、当選人決定の技術的な過程に過ぎない。一番大事なのは有権者がどう見るかだろう。例えば、わが宮城県の場合、1区では郡和子さん(民主)が、5区で勝沼栄明さん(自民)が比例復活だ。復活だろうが小選挙区だろうが、とにかく、しっかり仕事をしてくれれば良い、というだけなのだ。

京都3区補選に際して、この論議が沸き起こるかどうか注目したい。とは言っても、つまらない制度論やスジ論が受けるはずもないか。

ところで、京都3区は、1996年の初めての小選挙区選挙で共産党候補が議席をとっている。こんな選挙区は全国的にもまれだ。共産は、野党統一候補に含みをもたせる対応をしているようだ。維新は独自候補を擁立の構え。そして、補選の原因となった極めて情けない宮崎辞任の自民は、地元の主戦論をよそに党本部が不戦敗に傾いているという。何とも無責任なことだ。各党の対応についても、有権者、国民がしっかり評価していくべきだ。

(補論)
実は過去にも比例復活当選議員が、衆院補選で選挙区に鞍替え立候補した事例があることを知った。木下厚さんで、2003年埼玉8区で民主党公認で落選するも比例北関東ブロックで復活。直後に8区の当選議員(自民)が公選法違反で辞職。木下氏は翌年4月の補選に鞍替え立候補(衆院議員を自動失職)。自民新人に敗れた。

この際にも、鞍替え立候補に批判はあったようだ。





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最終更新日  2016.02.20 11:29:31
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