カテゴリ:東北
藤原清衡が平泉を拠点に選んだは、砂金と湧き水が大きな理由だという。
湧き水の方は、地層が曲がって、地表に立ち上がるように露出した断面からどんどん水が砂岩層に染み込み、パイプのように流れて斜面に湧き出してくるという。平泉には湧出地が多く、かつては毛越寺の浄土庭園の池を湧き水でまかなっていたという。そもそも地名も、平地に泉が湧くからとも言われる。 湧き水の方はこれくらいにして、以下は、砂金についてだ。 ■参考 NHK「ブラタモリ」制作班監修『ブラタモリ 9 平泉 新潟 佐渡 広島 宮島』2017年 から「1 黄金の都・平泉はなぜ栄えた?」(2016年12月10日放送) 中尊寺の山門から続く参道は、木立に囲まれていてあまり気づかないが、だらだらとした坂が100メートルもある崖に至るのだ。境内最奥部に立つ「かんざん亭」のテラスから平泉の北の衣川を望むことができる。この高さ100メートルの崖は東西1kmにわたり、平泉建設前には、朝廷と地元の境界だった。 奥州の抗争を勝ち抜き平和をもたらした清衡が、政治的な意味で境界だった場所に信仰の拠点を置き、東北の中心としようとしたのだが、平泉を選んだ理由はそれだけではない。奥州藤原氏の政庁とされる柳之御所遺跡が北上川に沿っているように、大河の水運が良い点もあった。 その北上川は、南北の物資の交易で巨万の富を平泉に集中させたが、地質に着目すると東西を分ける境目である。東の北上山地は、日本でも特殊な地形をもつ大事な場所だ。 (東北大学名誉教授永広(えひろ)昌之さんが解説しておられます。) 北上山地はとても古い地層や岩石が多く、北上川の西とは明らかに地質が異なる。2千万年前の日本列島誕生に伴ってできた西側に比べ、東側の北上山地は、1から5億年前の古い地質が広範囲に露出している日本唯一の場所である。 そして、こうした古い地質の周辺で砂金が産出した。なぜか。一関市内の猊鼻渓は砂鉄川沿いの峡谷だが、川底にはキラキラ輝く雲母が見える。北上山地の川では、雲母や砂鉄が大量にとれるが、その元は花崗岩だ。北上山地は日本有数の花崗岩地帯で、北上山地に1000から2000あったといわれる金山の位置を地質図と重ねると、花崗岩地帯の「へり」とその周辺に金山が集中しているのが分かる。 花崗岩は地下5000メートルほどの深い場所でゆっくり固まって形成され、簡単には地表に露出しない。花崗岩と金鉱脈が隆起と侵食を繰り返して徐々に地表に現れ、雨風で風化して砂金になるのだが、それには長い年月が必要で、非常に古い北上山地は幸いその年月があったのだ。 ■関連する過去の記事(鉱山など) 大谷鉱山(気仙沼市)(2021年5月4日) 鹿折金山(2021年5月3日) 白石・小原と鉱山の歴史(2014年6月16日) かなり古い時代の岩 沖の石(2011年11月27日) 東北の巨石(10年5月29日) 末の松山・沖の石(10年4月30日) 金華山と涌谷を考える(06年12月17日) 半田銀山と五代友厚(10年8月30日) ハンダの名の由来 桑折町(10年8月7日) 遠野の石の不思議(07年8月28日) ■関連する過去の記事(平泉) 判官堂(義経神社)、白山神社、樋爪館(2012年10月28日) いわて・平泉観光キャンペーンのキャラクター(08年9月6日) 高速バス平泉中尊寺号(08年8月4日) 「世界遺産」平泉 新聞はどう報じたのか(08年7月10日) 平泉の終焉 泰衡の実像と義経北行の真実(08年5月26日) 聡明なる藤原第四代泰衡(08年5月19日) 生きよ義経 泰衡と月山神社(08年5月11日) 奥州藤原氏17万騎消滅の謎(08年4月29日) 平泉の優位性を考える(07年11月5日) 発進!平泉を世界へ!(07年9月30日) 義経は出なかった(07年6月24日) 骨寺村荘園遺跡(07年2月26日) 都市平泉の予想図(07年1月28日) 平泉への道(06年1月11日) 義経伝説と東北の歴史ロマン(05年12月8日) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.02.19 11:20:47
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